年)9月から翌年6月、国立台湾師範大学に交換留学の経験を持つ。
留学中の1990年3月、折しも李登輝氏が総統選挙で当選し、一方で、万年国会議員の退陣などを
求めた台湾学生運動の嚆矢といわれる「野百合学生運動」が起こった。吉田氏はこの動きをつぶさ
に見ていた、数少ない日本人だった。
吉田氏は帰国後、埼玉県本庄市の市議に当選、また本庄市長に当選し、現在、3期目をつとめ
る。昨年2月、東日本大震災への台湾からの支援に感謝の念を表したいと、埼玉県内の首長に呼び
掛け、8つの市長村長が集う「埼玉県日台友好首長フォーラム」を結成、代表幹事をつとめる。
本会が今年4月25日に開いた台湾セミナーの講師に招いた折は「日台関係の強化にかける市長の
思い」と題して話していただいた。
その直後の5月5日から7日にかけ、埼玉県日台友好首長フォーラムとして初訪台し、李登輝元総
統や沼田幹夫・交流協会台北事務所代表にもお会いしてきた。李元総統との懇談は2時間を超え、
帰国便の時間が迫ったため、後ろ髪を引かれるように李元総統のご自宅を後にしたという。
本庄市が発行する広報誌「ほんじょう」に連載する「市長コラム・しんげの一言メッセージ」
で、このときの訪台について寄稿している。下記にその全文をご紹介したい。
去る7月2日は、吉田氏が旧本庄市の市長に就任してからちょうど10年目にあたったという。最近
は、これまで内向きだった眼差しが「埼玉県日台友好首長フォーラム」の結成により外に向くよう
になったという。念願だった台湾との交流も著につき、尊敬する李登輝元総統ともじっくり懇談す
る機会を得た。市政運営にもますます磨きがかかってきた。
来る7月22日、本会が会員限定で開催する「李登輝元総統を歓迎する晩餐会」で李元総統に再会
できることを心待ちにしているという。
◇ ◇ ◇
吉田信解(よしだ・しんげ)
埼玉県本庄市長、埼玉県日台友好首長フォーラム代表幹事。昭和42年(1967年)、埼玉県本庄市生
まれ。実家は本庄市内の寺院。早大本庄学院を経て早稲田大学第一文学部史学科東洋史専修卒業。
早大在学中の平成元年9月〜2年6月、国立台湾師範大学国語教学中心へ単位交換留学。大正大学大
学院仏教学修士課程修了。真言宗智山派の住職資格を取得。現在、深谷市大福院住職。平成7年4
月、本庄市議に27 歳で初当選。市議3期をつとめた後の平成17年5月、本庄市長に37歳で初当選。
翌年2月、合併後の本庄市長に当選(現在、3期目)。共著に『市長の夢 19人の青年市長×き
む』。本会会員。
台湾訪問について
【本庄市広報「ほんじょう」2015年6月1日号】
http://www.city.honjo.lg.jp/shisei/shicho/column/kormu27/1432599455825.html
我が国に最も多くの観光客が訪れ、また我が国最大の農産物輸出先である台湾を、5月5日から7
日まで訪問してまいりました。台湾の対日窓口である亜東関係協会秘書長(外務省日本局長に当た
る)とのご縁により、政府関係機関に本庄市の産業、農業、観光のPRを行う機会をいただいたこ
とから実現したものです。
まず産業分野ですが、本庄市内には、すでに台湾において事業を展開、もしくは今後展開する予
定の企業があります。日本の中小企業の投資の窓口となる台湾側の機関(台目産業連携推進オフィ
ス)に市内企業の商品を紹介し、今後の円滑な事業展開へのご理解と、またさらに他の企業が進出
する際のご支援をお願いしてまいりました。
農業分野では、本庄市のキュウリやナスなどの豊富な農産物の台湾への輸出と、先進的農業技術
の相互交流の可能性について関係機関(行政院農業委員会)と意見交換を行いました。輸出につい
ては現在日台関係に大きな課題が横たわっていますが、これは多分に政治的な問題であり、コスト
や検疫、さらにニーズ調査などのハードルはあれども、基本的に台湾の人々の日本の食品、農産物
への信頼は揺ぎ無いとのことでしたので、明るい見通しを感じました。また技術交流については大
いに進めるべきと確信いたしました。
観光分野については、交通部観光局を訪問し意見交換しました。本庄市の売り込み方によって
は、近年増えている台湾からの個人客に個性ある魅力的な観光地として、認知してもらえると感じ
ました。
初日の午後には駐台湾日本大使館に当たる交流協会台北事務所の沼田代表(大使)を訪問し、そ
して最終日の午後は、李登輝元台湾総統のご自宅を訪問することができました。李元総統からは2
時間にわたり日台の更なる関係強化について力強いお言葉をいただきました。
今回の訪問の成果を、本庄市のさまざまな分野の今後の海外展開につなげていきたいと考えてお
ります。
本庄市長 吉田信解