めてではないだろうか。寡聞にして知らない。
李元総統は月刊「正論」11月号(10月1日発売)に「最高指導者の条件」と題した論考を
寄稿されている。「最高指導者の条件」とは、3年前にPHP研究所から出版された単行本
のタイトルと同じだ。その焼き直しかなと思いつつ読んでみたら、まったく違う印象だった。
強い調子で民主党政権のリーダーシップを問い詰めている。
まず野田佳彦総理について、最高指導者の資質を備えているかもしれないが、「それが
発揮されなければ意味がありません」とのっけから厳しい。
さらに厳しいのは鳩山由紀夫・菅直人政権の外交についてだ。「民主党が掲げる『主体
的』とはあまりにもかけ離れていた」として、普天間飛行場の迷走ぶりを指摘し「対米追
従一辺倒になってしまった」と嘆き、菅政権のときの中国漁船衝突事件において船長を釈
放したことを「法治国家としてあるまじき失態」と憤っている。「外交史上に汚点を残し
た責任はあまりにも重い」とさえ述べる。
では、どうして日本には強力なリーダーシップを持った優れた政治指導者が少なくなっ
たのかというと、李元総統は後藤新平と吉田茂を取り上げて「傑出した最高指導者」と評
し、強力なリーダーシップを発揮できたのは「やはり、信仰を持っていたからでしょう」
と喝破している。
これまで李元総統は最高指導者の条件として「孤独を支える信仰」を第一義として、自
らのキリスト教への入信状況などの具体例を説くのが常だったが、月刊「正論」ではさら
に踏み込んで「ご先祖様でもいいし、国家でもいい。何か絶対的な存在を、心の中に持つ
べき」と説き、さらに後藤や吉田は「国家や天皇という、絶対的な信仰を」持っていた
と、日本という国柄に即した説き方をする。
そして「戦後の日本は、敗戦によるトラウマからか『国家のために』とか『天皇のため
に』という意識を時代錯誤と決めつけ、自ら捨て去ってしまいました」と、公に尽くす大
事の源泉を失っている元凶を剔抉(てっけつ)する。まさに至言と言ってよい。日本への
愛情に満ちあふれたアドバイスだ。
それをさらに日本的に演繹すれば、靖國神社への参拝ということになるだろう。鳩山・
菅時代、靖國神社への閣僚参拝は禁止された。だが、野田総理にとっては靖國神社参拝が
一つの踏絵となる。いみじくも月刊「正論」の同号で、西村眞悟・前衆議院議員が、野田
総理の踏み出すべき「貴重な着手点」として靖國神社参拝を勧めている。併せて味読され
たい。
◆月刊「正論」
http://www.sankei.co.jp/seiron/