李登輝は2000年に総統を退任後、9回の訪日を果たしている。李登輝の訪日が報じられると、必ず激烈な反応を示すのが中国だ。外交部のスポークスマンが「李登輝は戦争メーカー」「台湾独立運動の親玉」と口汚く罵る光景がお決まりのようにニュース映像で流される。
ただ、李登輝は言う。「私はこれまで『台湾独立』など一度も主張したことがない」と。そう聞くと誰もが疑問に思うに違いない。
台湾を民主化に導いたばかりか、中国が演習と称して打ち込んで来たミサイルにひるむことなく、「うろたえるな。対策は練ってある」と台湾の人々を鼓舞し続けた李登輝が、今まで台湾独立を主張してこなかったなどと誰が信じるだろうか。
しかしそれは事実だ。その陰には、台湾独立をめぐる複雑さと、現実主義者に徹して台湾を守り続けた李登輝の真意がある。
◆「台湾独立」という2つの異なる主張
日本でも、台湾が独立した存在であり続けることを応援する人たちは多い。ただ、ここで誤解されやすいのが「台湾はどこから独立するのか」という問題である。
「台湾独立」について筆者も多くの日本人から質問されたりするが、日本人が持つ「台湾独立」に対する解釈には二通りあると言える。
ひとつは「中華人民共和国からの独立」である。これは多分に、中国側の「台湾は中華人民共和国の不可分の領土であり、台湾が独立することは許さない」という主張が日本メディアで多く流されていることによる「弊害」なのではないだろうか。
確かに中国は台湾を自国の領土だと主張しているが、はっきり言ってそれは荒唐無稽である。つまり、中華人民共和国は1949年の建国以来、一度たりとも台湾を統治したこともないわけで、もともと別個の存在だった台湾を「我が国のもの」と主張しても説得力に乏しい。
とはいえ、中国は台湾との統一を「核心的利益」とまで言っているので、そうした中国との決別の意味で「台湾独立」という主張を捉えている日本人も少なからずいる。
もうひとつの捉え方が「中華民国体制からの独立」である。ここが「台湾問題」と呼ばれるものの複雑さなのだが、台湾は正式な国号を「中華民国」と呼ぶ。
昭和20年の敗戦まで、台湾は日本の統治下にあったが、日本がアメリカに占領されたのと同様、台湾もまた中華民国に占領された。幸い、日本は昭和27年にいわゆるサンフランシスコ平和条約が発効して独立国としての主権を回復したが、台湾はそうはいかなかったのである。
中国大陸では国民党率いる中華民国と、共産党による「国共内戦」が激化、共産党に敗れた国民党は、ほうほうの体で台湾に逃げ込んでくるのだ。その結果、1949年には中国大陸に共産党率いる中華人民共和国が成立。
一方、台湾には国民党率いる中華民国が逃げ込んだ。いわば国ぐるみで移転してきたわけだ。台湾にとっては、占領統治がいつの間にか居座られたようなものである。
さらに、国民党は統治をしやすくするために、日本時代に高等教育を受けた知識層を無実の罪で軒並み処刑した。政府に楯突くエリート層を一掃し、言論の自由を奪って恐怖政治を敷いたのだ。
こうした状況のなか、「台湾独立」という主張が生まれてくる。つまり、中華民国政府の統治ではなく、台湾として独立したいという考えである。
とはいえ、台湾においては「台湾独立」は最も危険な思想であったため、台湾独立運動は主に国外で展開された。日本統治を経験した人々にとっては、言葉が通じ、地理的にも近く、言論の自由も保障された日本がひとつの基地になったのは言うまでもない。
◆「現実主義」に徹する李登輝の本音
そこで冒頭の話に戻るわけだが、実際、李登輝は2007年にも台湾の週刊誌によるインタビューに「台湾独立を主張したことはない」と答え、大きく報じられたことがあった。
その波紋は日本にも及び、「(李登輝が)従来の立場を百八十度ひっくり返す発言をしていたことが31日明らかになった。その真意をめぐって台湾政界は大揺れになっている」(2007年2月1日付・朝日新聞)などと報じられ、李登輝を支持する日本人の間でも大騒ぎになったのを私も記憶している。
ただ、この騒ぎは文字通り「から騒ぎ」だ。なぜなら、確かに李登輝はこれまで一度たりとも「台湾独立」を主張したことはないからだ。
李登輝の主張は明確である。台湾の最高指導者として、いかにして台湾の「存在」を守り続けるかに知恵を絞る現実主義者に徹していることが明確にわかる内容だ。
「台湾はすでに独立した主権国家だ。今さら台湾独立を主張して、中国ばかりか日本や米国などの国際社会と余計な軋轢を起こす必要はない。中国とは別個の存在なのだから、この台湾の『存在』を守りながら、台湾が国際社会から認められるために必要なことを積み上げていけばよいのだ。」
突き詰めれば、台湾はすでに独立した存在だが、国際社会から認められるまでには至っていない。その足りないものをこれから補充していこう、というシンプルな考え方だ。
ここには、前述のような「中華民国体制からの独立」といった問題には言及されていない。現実主義の政治家たる李登輝からすれば、台湾がすでに実質的に独立した存在であり、それを今後いかにして維持していくか、ということのほうが重要なのである。
李登輝自身は、台湾の独立運動に関わる人たちを尊重しつつ、一方ではこれまでにも「台湾独立を強調する人たちは、台湾のために何を解決してきたのか」と批判したこともあった。
つまり「運動のための運動」に陥りがちな主張を「現実的ではない」と断罪したのである。
◆李登輝が「台湾独立運動」の中心人物と親しかったワケ
ただ、日本で台湾独立運動に携わったため、長らく国民党のブラックリストに載せられて帰国出来なかった、台湾独立建国聯盟の黄昭堂・元主席(故人)とは公私にわたって仲が良かった。
2007年に念願の「奥の細道」をたどる訪日の旅が実現したときも、李登輝みずから黄昭堂に「一緒に日本に行かないか」と声をかけている。
李登輝に同行した黄昭堂だが、夜遅くにこっそり投宿先のホテルオークラに戻ってきたのを何回か目撃した。
「どちらへ?」と聞くと、イタズラが見つかった子供のように「東京に戻ってくるとラーメンが食べたくてしょうがないんだ」と笑っていたことを思い出す。
また、時にはプライベートで自宅に黄昭堂を呼び寄せ、台湾をこれからどうしていくべきか討論を交わしながら、ウイスキーを二人で空けたこともあるんだと、李登輝は時おり黄昭堂の思い出話をしてくれる。
台湾独立を「これまで一度たりとも主張したことはない」という李登輝であるから、黄昭堂が人生を捧げた台湾独立運動とは、相容れない部分もあったかもしれない。
それでも、この二人が意気投合出来るのは、たとえやり方が異なったとしても、台湾が独立した存在を維持し、台湾の人々の幸福を実現するという最終的な理想のかたちが共通したものだからに違いない。
◆「実質的な台湾独立」を維持するため、日本ができること
10月下旬、台湾の大陸委員会(対中問題を処理する窓口機関)は定期的に行われている「両岸関係(台湾と中国の関係)」に関する世論調査の結果を発表した。そのうち「これからの台湾と中国の関係はどのようになるのを望むか」という設問については、実に80パーセント以上もの人々が、「まずは現状維持」あるいは「永遠に現状維持」を選択した。
台湾が自由かつ民主主義陣営として、日本と連なる位置に存在することは、安全保障の面からみても、大きな意義がある。
アジアの近隣諸国を頭に思い浮かべてほしい。現在、アジアにおいて日本と同じ「自由、民主、人権、言論の自由」などといった価値観を共有できる国が他にあるだろうか。
そうした意味で、台湾が中国と別個の存在であり続けることが、日本にとって大きな国益にもなる。外交関係こそないものの、アジアにおいて台湾だけが日本のパートナーになりうると断言してもいいだろう。
目下、台湾の人々が中国との関係を「現状維持」のままでいたいと望んでも、中国は絶え間なく、台湾を統一するための攻勢を仕掛けてきている。台湾の独立した存在が失われれば、安全保障はもとより、日本は同じ価値観を共有できるパートナーを失い、アジアで孤立した存在になるだろう。
台湾が中国とは別個の存在であり続けるために、台湾の国際機関へのオブザーバー参加支援、外交関係がなくとも提携できる分野、たとえば経済や文化、科学技術、教育面での協力関係締結など、日本ができる方策は山ほどある。それを実行させるためには、ひとりでも多くの日本人が台湾の重要性を理解することだ。
それが、現実主義に徹することで台湾の「存在」を確保し、実質的な台湾独立を維持し続けることを可能にした李登輝の思いに応えることではないだろうか。
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早川友久(はやかわ・ともひさ)1977年(昭和52年)6月、栃木県足利市生まれ。現在、台湾・台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業後、金美齢事務所の秘書として活動。2008年に台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフとしてメディア対応や撮影スタッフを担当。2012年12月、李登輝元総統の指名により李登輝総統事務所秘書に就任。共著に『誇りあれ、日本よ─李登輝・沖縄訪問全記録』『日本人、台湾を拓く。』など。