第7代台湾総督令孫で、本会理事だった画家の明石元紹(あかし もとつぐ)氏ら100
名が参列し、台北県三芝郷の福音山キリスト教墓園において「明石元二郎を偲ぶ集い」
を開いた。それを西日本新聞が伝えているので、下記にご紹介したい。
周知のように、明石元二郎の台湾総督時代は極めて短く、大正7年(1918年)6月から翌
8年10月までの1年5ヶ月しかなかった。しかし、台湾電力を創設して日月潭(じつげつた
ん)の水力電気事業を成功させ、それまでの二審制から日本国内と同様の三審制にする
司法制度の改革、また、台湾新教育令を発して、後に台湾人も帝国大学へ進むことがで
きるようになる制度改正を行ったりしている。
大正8年、大演習陪観のため帰国する船中で容態が悪化し、郷里の福岡にて10月26日に
逝去している。享年56。その遺体は、下村宏民政長官(終戦時の鈴木内閣で国務相兼情
報局総裁。号は海南)への遺言により台湾に葬られた。台湾に眠るただ1人の台湾総督
である。
歿後88年を迎えた今年の秋、明石の郷里である福岡で本会福岡県支部が明石元紹氏を
招いて講演会を開催の予定となっている。 (編集部)
明石総督をしのび墓参 台北市郊外
【6月25日 西日本新聞朝刊】
台湾の日本統治時代に第7代総督を務めた福岡市出身の軍人・明石元二郎(1864‐19
19)をしのぶ集いが、墓がある台北市郊外の台北県三芝郷の福音山キリスト教墓園など
で行われた。
明石総督の孫で東京在住の明石元紹(もとつぐ)氏(73)や、2000年に墓を現地に移
すのに尽力した楊基銓・元経済部(経済省)次官の遺族ら日台の関係者約100人が参加。
墓参りをし、台湾の近代化に果たした功績をしのんだ。元紹氏は「台湾の方々のおかげ
で90年も前の日本人がこの地で眠れているのはありがたい。祖父は無欲な人で、こんな
立派な墓は『おれにはもったいない』と言うに違いない」と語った。
明石総督は日露戦争当時、ロシア革命を支援して戦局を有利に導いたことでも知られ
る。1918年に台湾総督に就任し水利事業や教育改革などを行った。翌年、現職のまま福
岡で病没。遺言で遺体は台北に埋葬された。
しかし戦後、国共内戦で敗れた蒋介石政権とともに台湾に逃れた国民党軍の兵士らが
墓地に住みつき、墓は住宅の下に埋もれたままとなった。97年に同地が公園になること
で遺骨が掘り出され、日台友好を願う地元の民間団体などの協力で現在地に墓が作られ
た。 (台北・遠矢浩司)
写真:台湾北部・台北県三芝郷にある明石元二郎・台湾総督の墓に墓参した孫の元紹
氏(左)ら
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/asia/20070625/20070625_001.shtml
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