*読みやすさを考慮し、小見出しは本誌編集部で付したことをお断りします。
◆蔡焜燦氏の存在の大きさ
「老台北」の愛称で知られる蔡焜燦氏を偲ぶ会が、台湾新北市で行われました。報道によれば、政治団体「台湾独立建国連盟」の陳南天主席、明石元二郎台湾総督(1864-1919年)の孫である明石元紹氏、台湾高座台日交流協会の李雪峰理事長などが弔辞を述べ、日台の関係者約120人が出席したそうです。
さらに、蔡英文総統から民進党主席の名義で花が贈られました。そして、このことがニュースとして配信されることからしても、 蔡焜燦氏の存在の大きさを今更ながらに実感させられます。
日本語世代の代表的存在として知られ、自ら「愛日家」を名乗り、日台の交流に尽力しました。短歌を通じた文化交流に努め、2008年からは「台湾歌壇」の代表となり、台湾での日本理解促進に努めました。その功績が認められ、2014年には日本から旭日双光章が贈られています。『台湾人と日本精神 日本人よ胸を張りなさい』という著書は、日本でもベストセラーになりました。
蔡氏は享年90歳でした。同志として親交が深かった李登輝元総統は現在94歳です。9月23日に行われた、「台湾研究基金会」主催の総統直接選挙と民主主義について語るシンポジウムで、李登輝元総統の講演が予定されていましたが、体調不良のため直前に取りやめになったとのニュースもありました。
志を同じくし、各界で台湾をリードしていた人々は皆年を取りました。台湾独立建国連盟の主席で、台湾独立のために一生を捧げた台湾の英雄、黄昭堂氏も2011年に亡くなりました。79歳でした。金美齢氏によれば、世が世なら国葬にされて当然の人物だったとのことです。
2011年末に行われた黄昭堂氏お別れの会には、安倍晋三氏(当時は元総理)、羅福全氏(元駐日台湾代表)夫妻らが駆けつけてお別れのスピーチをしたほか、李登輝氏(台湾元総統)、台湾歌壇代表の蔡焜燦氏、蔡英文(当時は民進党主席)、櫻井よしこ氏(ジャーナリスト)らがメッセージを寄せました。この時は、もちろん私も末席を汚させて頂きました。
◆国民党独裁政治と戦ってきた台湾人勇士を支える「台湾精神」
この世代の台湾独立を志した英雄たちは、本当に辛く厳しい時代を生き抜いてきました。戦後、日本が去って蒋介石一派が台湾にやってきてから、台湾人にとって平穏な日々はありませんでした。戦後から1980年代初期に至る「白色テロ」時代、蒋介石と蒋経国は恐怖政治で台湾を支配しました。
その間、二二八事件を発端として、数々の弾圧、虐殺事件が繰り返されてきました。1975年に蒋介石が亡くなってからは、蒋経国がボスとなって台湾を牛耳り、弾圧や虐殺は収まるどころか、どんどん増えていったのです。以下にそれら事件の一部を列記しましょう。
1947年 二二八事件
1962年 廖文毅率いる台湾共和国を支援したと見做された台湾人数百名が蒋介石政府によって逮捕 される。
1964年 彭明敏と台湾大学の院生・謝聡敏、中央研究院の助手・魏廷朝が「台湾自救運動宣言」を 発表し、8年の実刑判決を受けたが、アムネスティ・インターナショナルが彼の釈放を要 求したため、蒋介石も彼を釈放した。
1968年 台湾独立を主張する「全国青年団結促進会」を結成した中心人物林水泉と、その同志約 270 名が逮捕された。
1971年 台湾キリスト教長老派教会の「国是声明」は、「台湾の民主化」と「台湾の将来は台湾人 が決める」を主旨としていた。さらに、1977年に「人権宣言」を発表したことで、国民党 政権を強く刺激し、キリスト教関係者の弾圧と逮捕を引き起こした。
1975年 立法委員の補充選挙に出馬するにあたり、29か条の蒋経国への公開質問状を印刷したとこ ろ反乱罪で逮捕された「白雅燦事件」。この事件では質問状の印刷業者も逮捕されている。
1979年 「美麗島事件」。雑誌『美麗島』関係者が12月10日の国際人権デーに記念集会を計画した が、無許可であることを理由に規制され、官憲と衝突して流血騒ぎとなった。反国民党指 導者が一斉に反乱罪に遭い、12年から14年の懲役刑となった。この時、逮捕や勾留された 人々は、後の民進党の指導層となる。
1980年 2月28日、前年の「美麗島事件」で反乱罪により勾留中の林義雄の自宅に何者かが押し入 り、実母と双子の娘の3人が惨殺された。国民党政府の特務機関の関与がささやかれてい る。後に、林義雄は民進党の主席となった。
1981年 米国カーネギーメロン大学の教授だった陳文成は、在米中より国民党政権を批判してお り、一時帰国した際、警備総司令部から呼び出されたまま行方が判らなくなり、翌日、台 湾大学構内で死体で発見された。数々の暴行の跡が残っていたという。
1984年 外省人だが、米国籍を持つ米国で活躍していた作家・江南は、国民党政権の内情を暴露し た『蒋経国伝』を出版したことから、蒋経国次男の蒋孝武の命令で国防軍軍事情報局が派 遣したヤクザ組織によってサンフランシスコ郊外の自宅で惨殺された。 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/6613/Taiwan/History/history10.html
蒋介石と蒋経国は、ざっと挙げただけで、これだけの弾圧、暗殺、虐殺などを繰り返してきたのです。しかし、彼らがこれだけの事件を起こさなければならなかったのは、彼らの独裁と戦ってきた台湾人勇士がいたからにほかなりません。
そしてそれは、蔡焜燦氏が著書であらわしたように、日本精神が台湾に遺されていたから可能だったことです。不撓不屈の日本精神は、戦後、「台湾精神」となり、台湾人勇士のバックボーンとなりました。彼らが数々の弾圧に屈しなかったのも、日本精神に大いに啓蒙されたからに他なりません。
そして、国民党独裁政治と戦ってきた台湾人の英雄がいたからこそ、1986年に台湾に野党の民進党が結成され、1987年に戒厳令が解除されたのです。彼らは、白色テロに勝ったのです。彼らが勝利を得るために払った代価はとても大きなものでした。家族の命、仲間の命、自身の命。すべてを賭けて戦ってきたのです。
それでも彼らは戦い続け、「美麗島事件」で逮捕、投獄された人々は、後に民進党を結党しました。黄昭堂氏、蔡焜燦氏、李登輝氏などを筆頭に、この時代を生き抜いてきた人々は、台湾に民主化をもたらし、今の台湾を創り上げた功労者です。
◆台湾人勇士の意志を継ぐ蔡英文や頼清徳
今、彼らは年老いて、徐々にこの世から姿を消しつつあります。その意志を継ぐのが蔡英文をはじめとする蔡英文政権のブレーンたち、そして蔡英文の右腕に氏名された頼清徳行政院長などの次の世代を担う人々です。
白色テロ時代を生き抜いてきた英雄たちは、次世代の育成にも尽力しました。常に資金不足の問題を抱えながら、名誉も地位も金銭も欲しがらず、手元にお金があれば仲間の活動のために寄付をして、次世代の人材を育てることにも手を抜きませんでした。黄昭堂や蔡焜燦も、私財を投げ打って活動に邁進しました。
私も、彼らと志を同じくし、同じ時代に活動し、同じように生きてきたことに誇りを持ち、残りの人生も同じように生きていきたいと思います。東京の「蔡焜燦氏を偲ぶ会」は、10月8日に行われます。詳細は「日本李登輝友の会」のHPをご参照ください。
http://www.ritouki.jp/index.php/info/20170831/
最後に、私見ですが、台湾の未来について私は楽観的です。日本で暮らして半世紀以上が経ちますが、世の移り変わりには目を見張るものがあります。特にインターネット時代になってからの変化は目が回るほど速く感じます。
1960年代、我々は右からも左からも叩かれ孤軍奮闘していました。戦後70年以上が経った今、AIやIoTの研究が進む時代になりましたが、世界は理性的で正気に向かっていると感じています。「世は変わる」という言葉を実感・共感しているのは私だけではないはずです。