日本がもっと活用すべき李登輝の「二国論」 早川 友久(李登輝元総統秘書)

【WEDGE infinity:2019年5月10日】

 1999年7月、李登輝は台湾を中華人民共和国からも、中華民国からも引き離す決断をした。いわゆる「二国論」発言である。

 1991年に「動員戡乱時期臨時条款」の撤廃を進め、中華人民共和国と、台湾を統治する中華民国の「内戦状態」は終了した、と宣言した。これによっていわば、中華民国が「いつかは中国大陸を奪還する」ことを目的に掲げた「大陸反攻」政策は終わりを告げ、国力を台湾の発展に使うことが出来るようになった。

 一方、中華人民共和国は相変わらず台湾を「中華人民共和国の領土」として主張し続けていた。1997年には香港が英国から返還されたことで、いよいよ「次は台湾」の気運さえ立ち上っていた。

 そうした状況のもと、李登輝の頭の中には、もちろん中華人民共和国でもなく、目下統治している中華民国ともまた異なる、台湾として歩みを進めていこうという青写真があった。

 この構図は非常に複雑で、台湾を応援したいとする日本の人々のなかでも誤解している場合があるので改めて整理してみたい。

◆国名がどうであれ、台湾は台湾

 第二次世界大戦が終わり、台湾は日本の統治下を離れた。日本がアメリカの占領統治を受けたように、台湾は中華民国による占領統治を受けていた。その一方で、中華民国の国民党は中国大陸において中国共産党と、どちらが正統に中国を代表するかを争う「国共内戦」を戦っていた。

 結果、中華民国は敗れ、文字通り国ぐるみで台湾へと逃れてきた。中国共産党が中国大陸を有効に統治することとなり、1949年には正式に中華人民共和国の建国が宣言されたのである。

 しかし、中華民国は「いつかは中国大陸を取り戻す」という姿勢を崩さなかった。そのため、内戦中から敷かれていた「動員戡乱時期臨時条款」を台湾に移転したあとも引き続き施行し、国家の資源を「大陸反攻」へ注ぎ続けたのである。

 この「動員戡乱時期臨時条款」に終止符を打ち、両岸が置かれた状況を変えようとしたのが李登輝だった。簡単に言えば、中華人民共和国であれ中華民国であれ、中国大陸との繋がりを捨て去り、台湾だけでやっていくことに決めたのが李登輝なのである。

 「このままでは台湾はその存在を失ってしまう。遅かれ早かれ中国に飲み込まれてしまうだろう」と李登輝が危機感を持ったのには理由があった。1997年に香港が返還され、同年には主要な国交締結国であった南アフリカまで失った。これによって台湾の国際社会における生存空間はますます狭まり、中国は台湾統一工作を加速させていたことから、李登輝としてはどうにかして台湾の存在を維持する方法を模索していた。

 その頃の李登輝の頭のなかはこうだ。

「台湾は戦後長らく、(台湾を統治する)中華民国と中華人民共和国が内戦中という前提だったために国力をそがれてきた。しかしもはや台湾は対岸の中華人民共和国とは何ら関係ない。台湾はもちろん中華人民共和国の一部でもないし、中華民国の『一省』でさえない。これからは「台湾は台湾である。そう言い切るのが難しいのであれば、『中華民国は台湾にあり』と言い換えても良い。とにかく、国名がどうであれ台湾は中国大陸とは切り離してやっていくんだ」ということだった。だからこそ、それまで存在した「台湾省」を凍結し、自らも経験した省主席のポストも廃止したのだ。

◆李登輝が「二国論」を発した背景

 そんな折、海外メディアからのインタビュー依頼が舞い込んだ。

 李登輝に聞くと、当初は通常の、何ら特別ではないドイツの放送局によるインタビューの予定だったという。ところが、前もって提出された質問内容と、それに対して政府新聞局(当時)が作成した想定問答を目にした李登輝は驚きとともに怒り心頭に発した。要は、台湾があたかも「中華民国の一省」である、という立場による回答だったからである。

 ただ、李登輝はこれを千載一遇の好機として利用することにした。事前提出された質問内容には、李登輝が進める民主化や、中国に返還された香港を念頭に、「現実的に、台湾にとって独立宣言はハードルが高く、香港のような『一国二制度』を受け入れるのも難しい。ではその折衷案はあるのか」という問いがあった。

 政府の新聞局が作成した想定問答は、これまで李登輝が進めてきた政策を真っ向から否定するようなものだったため、李登輝は自ら鉛筆をとって想定問答を作ることにした。そして同時に、台湾はもはやこれまでのような「中華民国の一省」という立場ではなく、もちろん中国大陸とも何ら関係がない、ということを国際社会に向けて発信するまたとない機会として利用することにしたのだ。

 そうして李登輝の口から発せられたのが、中国と台湾は「少なくとも特殊な国と国との関係である」という「二国論」であった。非常に微妙な、「少なくとも特殊な」という言い回しに、李登輝が脳みそを振り絞って導き出した苦労が見て取れる。

 この「二国論」発言から今年でちょうど20年になるが、台湾を考えるうえでこの発言の内容は大いに参考になる。李登輝自身が台湾あるいは中華民国の地位をどのように捉え、どういった方向に導こうとしたかは、台湾が歩んできた歴史そのものと重なる部分が大きいからだ。

 日本では「少なくとも特殊な国と国との関係」という一句だけが有名で、他の部分はあまり知られていないこともあるので、もう少し内容を紹介してみたい。

◆日本が利用すべき「二国論」のレトリック

 「1949年に建国された中華人民共和国は、未だかつて中華民国が支配する台湾本島、澎湖諸島、金門島、馬祖島を統治したことはない。我々中華民国は1991年の憲法改正により、その統治の効力が及ぶ地域を台湾に限定することとした。同時に、中華人民共和国が合法的に中国大陸を統治していることを認めたのである。

 さらには、立法院および国民大会の民意代表は、台湾の有権者からのみ選出することにした。つまり、人民を代表し、国家を統治する権力の正当性は、台湾の有権者によって授権されたものであって、中華人民共和国とは全く関係のないものなのだ。

 1991年の憲法改正以来、両岸の関係は、国家と国家の関係に位置づけられた。少なくとも特殊な国と国との関係である。決して一方が合法的な政府で、もう一方が反乱団体だとか、あるいは中央政府と一地方政府という『ひとつの中国』を前提とした内部の関係でもない(後略)」とした。

 この質疑に加えて、より重要なのは、「それゆえに、台湾は改めて独立宣言をする必要はない」としたことだ。すでに台湾は実質的には国家として独立しているのだから、今さら独立宣言をする必要はない、という論法である。こうした姿勢は、現在に至るまで、暗黙のうちに台湾が堅持してきたようにも思える。

 つまりこの「実質的な独立」をいかに維持していくかが、中国との距離を置くうえで重要であるし、日米が警戒する「一方的な現状変更」を脅かすものでもない。繰り返しになるが、台湾が中国とは別個の存在として、実質的に独立していることは、日本にとっても大きな意義を持つ。

 大切なのは、台湾と価値観を共有する日本をはじめとする民主国家が、台湾に対して「外交関係がないから」といって二の足を踏むのではなく、「実質的に独立した」台湾といかにして実務的な関係を築けるかに知恵を絞ることではあるまいか。

 李登輝が、文字通り知恵を絞ってひねり出した「特殊な国と国との関係」というレトリックを、日本は大いに利用してよりいっそう日台関係の強化を図るべきである。

 ちなみに、この「特殊な」という文言は、国際法で使われるラテン語の用語の日本語訳ということだが、李登輝によると「当時、日米台で、持ち回りで行っていた明徳プロジェクトという政府間の秘密会議があった。水面下でいろんな情報交換をしていたんだ。そこに出席していた日本の外交官の発言からヒントをもらって、この『特殊な』という文言を思いついたんだ」ということである。

              ◇     ◇     ◇

早川友久(はやかわ・ともひさ)1977年(昭和52年)6月、栃木県足利市生まれ。現在、台湾・台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業後、金美齢事務所の秘書として活動。2008年に台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフとしてメディア対応や撮影スタッフを担当。2012年12月、李登輝元総統の指名により李登輝総統事務所秘書に就任。共著に『誇りあれ、日本よ─李登輝・沖縄訪問全記録』『日本人、台湾を拓く。』など。


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