http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20130103102.htm
*写真:外代樹夫人の銅像制作に向け、粘土の模型で姿を確認する村井さん=野々市市内
戦前の台湾で水利事業に尽力した金沢出身の八田與一(はったよいち)技師の妻・外代
樹(とよき)の銅像が9月、台南市の八田與一記念公園に建立されることが2日までに決ま
った。ダム建設の仕事に燃える夫を支えながら、母として家庭を守った外代樹夫人は八田
技師と同様に現地で慕われており、台南市と金沢市の顕彰団体が共同制作する。台南の大
地に豊かな恵みをもたらした夫婦の絆、内助の功に光を当て、日台交流の発展につなげる。
銅像を設置するのは、台南市の「八田與一文化芸術記念基金」と金沢市の「八田外代樹
夫人銅像建設委員会」。現在、日展会員の彫刻家、村井良樹氏が野々市市の自宅アトリエ
で像の制作に取り組んでいる。
設置場所は、台南市の八田與一記念公園内の八田技師宿舎敷地で、外代樹夫人の命日で
ある9月1日に除幕される。
金沢出身の外代樹夫人は16歳で八田技師と結婚。ともに台湾に赴き、烏山頭(うさんと
う)ダム建設に没頭する夫を陰で支えながら、2男6女を育てた。
八田技師が1942(昭和17)年、乗船した大洋丸が魚雷攻撃を受けて亡くなると、その3年
後、烏山頭ダムに身を投げ自殺した。
台湾に青春をささげ、台湾の土となる道を選んだ外代樹夫人を慕い敬う気持ちは台湾で
強く、2011年に八田與一記念公園が完成したことを契機に、銅像建立の話が持ち上がった。
八田與一文化芸術記念基金が中心となって募金活動を開始、この企画を受け、金沢市で
も八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会を軸に「八田外代樹夫人銅像建設委員会」が新たに
組織され、日台の共同事業となった。
村井氏が制作中の像は、外代樹夫人が幼いわが子を抱きかかえ、夫の帰りを待つ姿をモ
チーフにし、家庭を守り、夫と子どもに愛情を注いだ夫人の人物像を伝えている。
ダム建設真っただ中の1926年、25歳だった外代樹夫人が1歳前後の四女嘉子(よしこ)さ
んを抱いて写る一家の写真を参考にした。
現在は2分の1以下のサイズで模型が完成しており、7月にも高さ175センチのブロンズ像
が完成する見込み。
八田與一文化芸術記念基金の徐金錫(じょきんしゃく)会長は、「外代樹夫人の台湾へ
の貢献に対する感謝を私たちは忘れたことがない。日台共同で銅像が建てられることは感
無量の喜びだ」とコメントした。
金沢の八田外代樹夫人銅像建設委員会の中川外司(とし)委員長は「台湾からこうした
話が出るのは有り難いこと。八田夫妻の功績を若い世代にも伝えていきたい」と期待を寄
せた。
●八田與一(1886〜1942)石川県花園村(現金沢市)生まれの土木技師。旧制四高、東京
帝大を卒業後、台湾に渡り、1920(大正9)年から10年がかりで烏山頭ダムを建設。総延
長1万6千キロに及ぶ水路網を整備した。これによって香川県にほぼ匹敵する面積の嘉南
平原は台湾最大の穀倉地帯に生まれ変わった。