労作『群馬学とは』の著者で群馬県立歴史博物館学芸員の手島仁(てしま・ひとし)氏
は、今年の1月3日から毎週月曜日、東京新聞の群馬版に「手島仁の『群馬学』講座」を連
載している。
群馬県は台湾と縁が深い。最後の日本人台南市長を務め、台南の文化遺産を守り抜いて
台南の人々から尊敬される羽鳥又男(はとり・またお)、「台湾紅茶の父」と慕われる新
井耕吉郎(あらい・こうきちろう)、台湾の風土病撲滅に多大な功績を残し台湾ツツガム
シ病を発見した医学博士の羽鳥重郎(はとり・じゅうろう)、台湾いろはかるたをつくっ
た須田清基(すだ・せいき)、基隆に台湾最初の「基隆夜学校」や私立図書館「石坂文
庫」を創設して「基隆の聖人」とか「台湾図書館の父」と呼ばれる石坂荘作(いしざか・
そうさく)など、台湾の近代化に力を尽くした錚々たる人物を輩出している。
この「手島仁の『群馬学』講座」の5回目(1月31日)で台湾関係者として初めて羽鳥又
男が登場し、3月28日の第12回で羽鳥重郎、5月16日の第17回で新井耕吉郎が取り上げられ、
本誌で紹介した。
5月23日の第18回では石坂荘作の事績が紹介されたので、ここにご紹介したい。石坂の事
績は、日本でも台湾でも今やほとんど忘れられていると言ってよいだろう。貴重な歴史の
掘り起こしであり、手島氏の労を多としたい。手島氏のプロフィールは編集部で付け加え
た。
この連載記事はインターネットでは掲載されていない。掲載されるたびに、東京新聞前
橋支局よりご恵贈いただいている。この場を借りて深く御礼申し上げます。
なお、群馬県が台湾と縁が深い歴史的背景を丹念に掘り起こした手島仁氏の『群馬学とは』
(1800円、2010年6月刊)は下記で取り扱っている。
■『群馬学とは』申込先:群馬県立歴史博物館ミュージアムショップ
〒370-1293 群馬県高崎市綿貫町992-1 群馬県立歴史博物館内
TEL&FAX:027-347-8133E-mail: shop@neues-asahi.jp
ホームページ: http://www.asahi-p.co.jp/mshop/index.html
手島仁の「群馬学」講座(18)
「台湾図書館の父」「基隆聖人」石坂荘作─台湾初、夜間教育機関を創設
【東京新聞:群馬版 2011年5月23日】
台湾で「台湾図書館の父」とか「基隆聖人」と称され、敬愛されている上州人・石坂荘
作を取り上げる。
石坂荘作は明治三(一八七〇)年、吾妻郡原町(現東吾妻町)に生まれた。原町尋常小
学校を卒業。地元の牧師から英語、儒者から漢学などを学び、同小学校の教員となった。
日清戦争に出征したのち、同二十九(九六)年、台湾へ渡った。台湾日報、台湾日日新
報社の会計主任を経て、度量衡器販売や、たばこ、マッチなどの専売品を手がける「石坂
商店」を創業した。
石坂は商売で得た利益を社会に還元し、同三十六(一九〇三)年に台湾で最初の夜間教
育機関「基隆夜学校」(のち基隆商業専修学校)を創設。日本人でも台湾人でも授業料は
不要で、昼間に学校へ通えない者に勉学の門戸を開放した。
同四十二(〇九)年には石坂文庫(のち基隆市立図書館)を創設。同図書館は基隆市の
「知識の庫」としてなくてはならないものとなった。さらに昭和六(三一)年には和洋裁
縫講習所(のち基隆技芸女学校)を開設し、女子教育の発展にも努めた。
石坂は基隆市の教育を一身に担ったと言っても過言ではないが、実業界においても、基
隆信用組合長、基隆公益社長、基隆商工会長などの公職を歴任。その生涯をひたすら台湾
の北部にある都市・基隆のために尽くした。
ところで、どうして石坂が「基隆聖人」と呼ばれているのであろうか。それは石坂の善
行に対する姿勢に多くの人々が敬意を表したからである。
当時も海外に出て巨富を擁した成功者は何人もいたが、石坂は私欲に走ることなく、淡々
として余裕ができれば公共のために私財を投じた。つまり、建設・寄贈は有り余る財貨に
よってなされたものではなかった。
例えば、基隆市民の朝夕の散策に欠くことのできない存在となった石坂公園も、自ら鍬
を握る労力を続け、数年の歳月を要して完成したもので、石坂はこうした方法ででき上が
ったものを、次々に市に寄贈していったのである。
石坂荘作は、余裕があれば公共のために投じて惜しむことなく、社会の発展のために終
生を捧(ささ)げたことから、基隆市の存する限り、市民の感謝のうちに永遠にその名を
刻まれることであろうと、人々から「基隆聖人」と称され敬愛されたのであった。
(県立歴史博物館学芸員)
*写真:昭和15年公刊の「躍進群馬県誌」に掲載された石坂荘作の写真
*月曜日朝刊に掲載。第19回は「角田柳作先生とドナルド・キーンさん」
手島仁氏プロフィール
[てしま・ひとし]前橋市生まれ。前橋高校を経て立命館大学文学部卒業後、群馬県内の
中央高校、群馬県史編纂室、桐生西高校、吉井高校に勤務。その後、群馬県立群馬歴史博
物館に専門員と勤務し現在に至る。主な著書に『総選挙でみる群馬の近代史』『中島知久
平と国政研究会』(上・下)など。論文多数。