帝都復興、後藤はどう行動したか  渡辺 利夫(拓殖大学顧問)

【産経新聞「正論」:2023年9月1日】https://www.sankei.com/article/20230901-3JFHIFU54JOH3AFFH7WV4XRGVM/

 後藤新平は麻布桜田町の自邸で新内閣の形勢について番記者たちと談じていた。大震災直前に首相加藤友三郎が急死、組閣の大命が山本権兵衛に降(くだ)ったものの、難航。その最中の9月1日正午の直前、後藤邸の壁土が落ち柱がギシギシと鈍い音を立て屋根瓦が庭に落ちつづけた。記者は飛び出し、後藤は公用車の運転手を促して首相官邸へと急いだものの、道路は倒れた電柱や看板に遮られ容易に進まない。あちこちで火の手が上がっている。

 後藤は組閣ができなければこの難局は乗り切れないと直感し、山本の誘いに応じて内務大臣に就任、大蔵大臣井上準之助、陸軍大臣田中義一らも加わり第2次山本内閣は成立した。2日、赤坂離宮内の萩の茶屋にて蝋燭(ろうそく)の灯(とも)る中で摂政宮による親任式が執り行われた。後藤はただちに帰邸、2階の一室にこもり唸(うな)るがごとくに思考を巡らせて次の4つの根本策を樹(た)てた。原文は消失しているものの、補佐役の鶴見祐輔は『後藤新平』の中で根本策は次の4つであったと断言している。

 一、遷都すべからず。二、復興費に三十億円を要すべし。三、欧米最新の都市計画を採用して、我国に相応した 新都を造営せざるべからず。四、新都市計画実施の為には、地主に断固たる態度を取らざるべからず。

 国家緊急事態に対しての後藤の瞬発的な反応力がここに表れている。この根本策の論点は、遷都ではなく東京に「新都を造営」し、そのためには「地主に断固たる態度」を取って焼土を国がすべて買い取る、いわゆる「焼土全部買上案」を前提としていたことにあった。後藤の閣議での主張はこうである。

「100万坪の焼土を買収するのは、もとより非常な果断である。またそのためには巨額な買収費を要するであろうが、復興計画が成った日にこれを原所有者に払い下げれば、経済上から見て国家の損失は決して多大ではなく、その方法が時機よろしきを得ればかえって最小の経費をもって最大の効果をあげることができる」

◆政治家の使命は

 この案に対しては、地主や政治家の既得権益者の抵抗が頑強であった。予算も根本策30億円は紆余(うよ)曲折を経て実に4億6800万円にまで減額された。解散総選挙に打って出、改めて増額を狙おうという声も賛成派にはあったが、明日をも知れぬ被災民の窮状の解消が最優先だ。与えられた条件の中で最善の成果を得るというのが政治家の使命だと後藤はみずからにいい聞かせた。

 台湾民政長官の時代、はるかに厳しい予算制約の中で土地調査事業、南北縦貫鉄道敷設、基隆築港の「三大事業」を成し遂げたことを思い起こしていた。が、非情な運命が後藤を待っていた。摂政宮が暴徒によって発砲を受けるという「虎ノ門事件」が起き、山本内閣は責を負うて総辞職。後藤も無念の退陣を迫られた。在任期間はわずか120日であった。

 後藤は東京市長を、かねて厚い信頼を寄せていた永田秀次郎(ひでじろう)に託した。永田は第3代の拓殖大学学長後藤の後を継いで第4代学長をも務め、後藤終生の側近であった。永田の事業の中心は帝都復興のための区画整理である。市民の協力を求める永田の演説が残されている。

「道路橋梁(きょうりょう)を拡築し、防火地帯を作り、街路区画を整理させなければならぬ。若(も)し万一にも我々が今日目前の些細(ささい)な面倒を厭(いと)って、街並や道路をこの儘(まま)に打棄て置くならば、我々十万の同胞は犬死にした事となります」

◆現存する構造物に思う

 墨田区の横網町公園には、永田の句碑が建てられている。

 焼けて 直ぐ 芽ぐむちからや 棕櫚(しゅろ)の露

「大震火災の混乱悲愴(ひそう)をきわめる焦土のさ中にあって再建に奮いたつ市民の意気に感激し、“復興”と題してよんだ句である」と碑には刻印されている。碑の場所は墨田区本所横網町にあった陸軍省被服廠(しょう)跡であり、移転にともなって東京市に払い下げられた広大な土地である。被災民のうち約3万8600人がここで絶命、東京市全体の死者数の55%に相当したという(吉村昭『関東大震災』)。

 区画整理は震災による焼失地域の9割に及んだ。隅田川にかかる永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問(こととい)橋、神田川にかかる聖(ひじり)橋、万世橋、柳橋、また隅田公園、錦糸公園、浜町公園、昭和通り、靖国通り、永代通り、晴海通りといえば、東京に住まう人間であればその名前に聞き覚えのない者はおるまい。これらは遺構ではなくすべて現存する構造物である。

 言問橋といえば平安の歌の世界、柳橋といえば江戸の花街をイメージさせてくれる。建設にいたるまでの緊迫感とは異なる、むしろやすらぎさえ覚えさせる郷愁の名称となっているのも興趣に尽きない。

(わたなべ としお)

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