このほど講談社の「現代ビジネス」に「日米外交史の専門家が心底危惧する、日本の『尖閣無策』」を寄稿、日本は尖閣諸島を「中国に奪われてしまったら、還ってこない」ことを肝に銘ずべきと説き、アメリカの尖閣に対するスタンスを明らかにして「一番恐ろしいシナリオ」を提示している。背筋が凍りつくような鋭い指摘だ。
アメリカはこれまで尖閣諸島に対する日本の施政権を認めても、なぜ領有権を認めないのか常々疑問に思っていたが、ようやくその謎の一端が解けた思いだ。かなりの長文だが、下記に全文をご紹介したい。熟読されたい。
なお、本誌掲載に当たって、原題の「日米外交史の専門家が心底危惧する、日本の『尖閣無策』─『もちろん、決めるのはあなた達だが』」から「尖閣諸島は中国に奪われたら還ってこない」と改めたことをお断りする。
—————————————————————————————–ロバート・D・エルドリッヂ 政治学者・元米海兵隊太平洋基地政務外交部次長日米外交史の専門家が心底危惧する、日本の「尖閣無策」 「もちろん、決めるのはあなた達だが」【現代ビジネス:2018年1月31日】
1月の初旬、中国の潜水艦が潜航したまま尖閣諸島の大正島の接続海域を航行した。これまでにないレベルの挑発行為である。日本は政府も国民も尖閣危機を騒ぐ割には、事態の深刻化を全く止めることが出来ていないし、その気配すら見えない。全くの無策、お手上げ状態なのである。何故なのか?
戦後日米外交史の専門家で、アメリカ海兵隊の基地問題担当者として沖縄で活動した経験も持つ著者が、日米両国に責任がある尖閣問題の起源を読み解く。
◆東ヨーロッパで考えた尖閣への教訓
つい最近、東ヨーロッパに行ってきた。スイスでシンポジウムに参加した後、まだ行ったことがなかったブルガリア、ルーマニア、モルドバを回った。
そして最後に訪れたモルドバで印象的なことがあった。この国はロシアとの間の領土問題を抱えている。ロシアが、国土の一部を実際に占拠している状況だ。
地元の大学で尖閣問題に関する講演を行ったが、そこで、50代の研究者にあった。大学の学科長だった。彼は英語が得意ではなく、長くソ連圏の教育を受けていたような人なのだろう。アメリカ人である私を警戒しているようだった。
しかし、講演の後、その態度は全く変わった。まず「ありがとう」のあと、「大変ためになった。示唆を受けた。感謝します。参考にします」といってきたのである。講演中、一所懸命メモを取っていた姿が印象に残っている。彼は彼なりに、自分の国、超大国に隣接する小さな国の国益を考えているのだと思った。
そこで改めて認識したことは、いったん、領土を隣の大国に占領されてしまうと、もう取り戻すことが出来ないということだった。この形は、北方領土の事例とよく似ている。
東欧に行く直前、中国の潜水艦が、尖閣諸島の接続水域を潜水したまま航行した。これまでにない挑発行為であり、尖閣問題が日本にとっていま最も緊張度の高い領土問題であることが改めて示された。ところが、日本政府をはじめ、政治家、国民のほとんどは無関心である。
この尖閣諸島もまた、中国に奪われてしまったら、還ってこない。そして、日本の戦後の領土問題は、北方領土に加え、韓国が1954年に武力によって獲った竹島のすべて日本にとって不幸な形で決着することになってしまう。
領土の一部でもとられると、その相手と隣接している以上、その国の主体的な外交はできなくなる。モルドバ国内では、NATO加盟を希望している声が多いが、それはロシアが絶対許さないし、その現実に、その意思を強要している。
つまり、尖閣諸島を奪われてしまうと、日本は対中国外交で主体性がなくなってしまう。中国の顔を一層立てなければならなくなるからだ。このことが歴史や他地域の国際政治に学ぶべき教訓なのである。日本は、北方領土問題と竹島問題からだけでも分かるはずだ。
◆尖閣で起きうる日本の敗北
日本の尖閣政策は、一言で言うと、「奪われるようなことがあったら取り返す」につきる。しかし、占領されると還ってこない、という教訓から考えると、意味のない非現実的な原則に立っていることになる。まず奪われないようにすることを考えなければならないはずだ。
つまり日本は尖閣問題に政策も持っていないし、戦略もないのである。それゆえ私は「尖閣無策」とよんでいる。
もう一つ、今回の東欧訪問で学んだことがある。
これも歴史的なロシアの手法だが、影響力を及ぼしたい国や地域に、まずロシア人を送り込むのである。ロシア民族、ロシア語話者の人たちが、そこでコミュニティを形成している。これら「在外ロシア人」を守るというのが、対外政策の言い訳になるのである。
ロシアが2014年にウクライナのクリミアに侵攻して自治共和国として編入したことが、その直近の例となる。
ドイツも、第二次世界大戦前に同じやり方をした。「ドイツ系住民を守るため」が、オーストリア、チェコスロバキア、ポーランドへの軍事行動や領土併合の表向きの理由となった。
中国もまた、沖縄へ多くの中国人を送り込み、日本国内に多くの中国人が在住している。日本だけではない。南アジアやアフリカにも万人単位で送り込んでおり、東南アジアには歴史的に多くの中国系住民が実際に生活している。
このことが、例えば、沖縄で独立運動などが本格的になった場合や、そのほかの地域でも何かの問題が起きた場合、中国が口を出し、さらにそれだけではなく、手を出す理由になる。世界の歴史がそれを証明している。
現時点で、尖閣問題は、あくまで隣国間の領土問題、外交問題だが、中国人の住民の人口が、日本国内、特に南西諸島に増えれば増えるほど、別な次元の問題が起きてくる。
以前から議論になっていることだが、中国には在外中国人を有事の際にあらゆる形で動員することが出来る「国防動員法」という法律がある。だから、中国人が送り込まれれば込まれるほど、内側と外側からの圧力が高まることになる。
このように、領土問題を甘く見てはいけない。一部でも主権を失うと、主体的な外交はできなくなるし、内政も妨害を受けるからである。
日本は政策がないから、海上保安庁と自衛隊という現場に任せっぱなしになる。海上保安庁には大変な負担がかかっているし、航空自衛隊もスクランブルで振り回されている。
去年、その回数が減ったことから、中国は平和を望んでいると評価する人たちがいた。これは昨秋の共産党大会があったので控えただけだ。あれから、また、回数は増えており、主張も激しくなっている。
最近、自民党政府も、中国といい関係を築くことが出来ると思っているようだが、すごく甘く極めて危険というしかない。
◆安保条約第5条の幻想
中国は尖閣諸島をとりたい。沖縄を支配下に置き、日本までも完全に中立化させたい。
これに対し、日本は、最悪の場合、有事になったら日米安全保障条約の第5条の適用で対応しようとしているが、極めて限界がある。第5条は、安保条約の発動条件を、日本の施政権下にある領域で、どちらかの国が攻撃を受けた場合とした規定である。
それを、外から見てうかがわせる良い事例がある。アメリカの高官が来日する際、また、日本の高官が訪米する際、尖閣諸島が日米安全保障条約第5条の適用範囲であることを確認する発言を延々と繰り返している。
これは私から見ると、恋人同士の関係に似ていると思えてならない。「まだ私のことを愛しているの?」と念押しを繰り返さなければ安心できないという、ある意味、気持ち悪い関係である。
尖閣諸島が日米安全保障条約の適用範囲であることは、1971年の沖縄返還協定の批准の際に、アメリカ議会における証言で認められている。したがって、それ以上、確認をとらなくてもよい事柄なのだ。
このことは、国際社会から見れば非常におかしく見える。同盟が強固なものならば、確認の必要はないのである。日本政府が聞けば聞くほど、日米同盟は脆いと思われてしまう。
その上、第5条が適用できる事態だけで済むとは限らないのである。そもそも、第5条シナリオが有効な状況というのは、簡単な事態なのである。つまり、武力行使の対象となったので日米が対処する、ということだ。
問題は、第5条適用以外のシナリオだ。例えば、海上で日中間で何事か起こった場合。中国は情報戦、広報外交がうまいので「日本が先に撃った」という雰囲気にされかねない。
日本から先に攻撃した場合とアメリカが認識すれば、第5条は適用されない。さらに力を行使しても解決をする、時のアメリカの政権が中国よりであれば、なおさら行動しない可能性が高い。
そもそも、大きな矛盾を孕んでいる。アメリカ政府が、日本の施政権を認めつつも領有権を認めない日本の領土に対して、防衛義務があることはおかしいと指摘するアメリカ国民がいるので、もしその数が増えれば政府として行動し難くなることも忘れてはならない。
さらに、武装した漁民などが尖閣諸島に上陸した場合など、ほかに、条約上のグレーゾーンがある。
例えば、尖閣諸島の領域に中国などの船が入り、「故障」し、修理用の部品や、船員の食料などの補給の理由で、2隻目、3隻目が入り込み、いつの間にか、対応し切れないほどの船や人数がいる。
当然、その間、中国は、軍艦と変わらないほど武装化されている、日本の巡視艇に当たる海警の船を出し、中国の漁民を守ると名目で派遣し、情報収集のためにも船を派遣する。
この緊迫した状況の中で、現在の日本政府に退去させる力があるだろうか。このような事態は、容易に想像できる。
実は、返還前に、小規模ではあったがシナリオの前半に似ている事態が台湾との間で発生したことがある。このときは、米軍が退去させた。
日本は、いつもの外交カードである、「対話による」解決を選ぶだろう。しかし、そうした方法は、そもそも正当性がない中国の主張を正当化し、彼らの立場を強化することにつながる。
このようなことを日本政府は、46年間、一貫して繰り返している。なぜ、日本人は歴史や教訓を覚えないだろう?
そもそも、中国は、尖閣諸島における日本の主権を認めていないので、「退去する理由がない」と反論できる。それでも平和裏に退去させようとしたら、何か別な条件を飲まされかねない。
これは主張や立場の違いではなく、国益をめぐる国際政治の厳しい現実なのだ。力を行使しても解決をする中国は、他の国と比較できないほど国益を追求している国だ。そろそろ日本も甘え考えを捨てて、真の国益を追求しないといけない。
◆アメリカの日和見
最も警戒しなければならないことは、尖閣問題に対するアメリカの現在のスタンスに、根本的な誤りがあることだ。上記で言及したように、日本の施政権を認めるが、アメリカは、実は尖閣領有権問題に関しては中立方針をとっているのである。
今のアメリカの方針では、日本の領有権については、肯定も否定もしていない。しかし、同じように論理的に考えた場合、中国の領有権主張については否定していないことになる。
もし中国が第5条に抵触するような軍事的な作戦を展開した場合に、アメリカが中国に対して、何らかの言及や行動を行おうとしたら、中国は、アメリカは中国の領有権を否定していないのであるから、口も手も出すべきでないと主張できるのである。
これがおそらく一番恐ろしいシナリオである。最初から何もできないからだ。
このように、尖閣問題の起源は、アメリカの中立政策にある。
戦争が終わってから27年間の占領・統治期間、アメリカは沖縄が日本の領土であるという方針をとってきた。国際的にも、サンフランシスコ平和会議の際、南西諸島に対し日本は潜在主権があるという見解を、アメリカのダレス国務長官が言明したことで、広く認識されている。
ここでいう、南西諸島を、尖閣諸島を含む形で、アメリカは占領・統治している。つまり、尖閣諸島は旧沖縄県の南西諸島の一部であり、日本は沖縄県に潜在主権を保有しているというのが、返還までのアメリカの立場だった。
しかし、1971年6月の沖縄返還協定締結の際、台湾と中国の尖閣諸島領有権問題が浮上した。台湾はその頃まで、アメリカの同盟国であった。また、同年7月にはニクソン大統領の訪中が発表された。そのための折衝が、水面下でキッシンジャー補佐官によって行われていた。そのため、両国も主張に対して、アメリカは曖昧な姿勢をとってしまったのである。
このことは日本にとって死活的な問題を残している。
紛争の際、アメリカが、中国に対して口を出した場合、中国は、このアメリカの立場の穴を鋭く指摘できるので、アメリカの軍事行動を制約することが出来る。
従って、この穴は早急に埋めなければいけない。
◆尖閣への不作為が世界に示すもの
このように、尖閣諸島問題はアメリカに大きな責任がある。しかし、それは沖縄返還まででのことである。返還以降については、はっきり言って、日本政府に大きな問題がある。
他国から領有主張があるにも関わらず、日本政府は、実効支配や施政権を示すための行動を行ってこなかったのである。
もちろん海上保安庁などが、尖閣諸島を日本領として警備してきたのであるが、実効支配を示すために必要な装置、つまり公務員の常駐、港・へリポート、気象台、灯台の建設などは何も行ってこなかった。
しかし、日本の他の他国の領域に隣接する離島には、ちゃんと行っているのである。なぜ尖閣諸島にだけ行おうとしないのか。しかも、こうした措置は、国際公共財になり、国際社会によって歓迎される。
日本は何もしないことによって、中国に対してだけではなく、国際社会に対して、尖閣諸島の領有権に対して自信がない、というメッセージを発し続けているのである。
このことに対して日本政府が示す唯一の理由が、「中国政府を刺激したくない」である。少なくともそういう態度を実際に取り続けている。では、中国は日本を刺激していいのだろうか。国際法違反を繰り返して犯してもいいのだろうか。
傲慢な対外政策をとる国に対して、対処する力がある国は、はっきりNOといわなければならない。そうしなければ、フィリピン、ベトナムなどより力の弱い国は、なおさら、傲慢な国の思い通りにされてしまう。
尖閣諸島問題は、単に日本だけの問題ではない。この地域全体の問題である。
◆2010年、中国で起こったデモ
先に触れた今年初頭の、中国艦船の尖閣諸島接近ルートをみると、中国は、この日米の問題を理解したうえで行動しているとしか思えない。
中国の潜水艦と艦艇が接近したのは大正島であった。実は、ここは米軍の演習場でもある。
にもかかわらず、アメリカはこのことについて、表立って非難していない。水面下では何か言っているかもしれないが。
アメリカが公に非難しないことを中国は喜んでいるだろう。少なくとも、そうしないことを計算したうえでの行動だったと思う。それゆえ、この中国の行動は、アメリカへの挑戦でもあるといえる。
歴史教訓を思い返すと、対外的に傲慢な行動をとる国に対し、融和政策をとることは、結局、高いコストを払うにつながる。
このままでは、後々、日本は、東ヨーロッパの小国のようになりたくなければ、問題解決のために、軍事的な対応を迫られるまで、追い込まれかねない。そのことは、非常な覚悟が必要なだけではなく、コストもまた非常に高くなる。
しかし、今の段階で賢い方法をとれば、そのような事態を、より低いコストで回避できる。これは、前述した気象台、港などの整備や公務員の常駐など措置で、行政的手法による予防的政策だと思う。
どちらがいいか。日本は自身の判断で選択していただきたい。しかし、時間があまりない。
安倍政権内で中国が動くまで待つか、それとも、先に自信を持って、積極的に尖閣諸島における行政的な態勢を確立し、国際社会における日本の立場を強化していくのか、を決める時期だ。
◇ ◇ ◇
ロバート・D・エルドリッヂ1968年米国生まれ。神戸大学大学院法学研究科博士課程修了。政治学博士。大阪大学准教授、米海兵隊太平洋基地政務外交部次長などを歴任。著書に『沖縄問題の起源』(アジア太平洋賞大賞、サントリー学芸賞受賞)、『尖閣問題の起源』(大平正芳記念賞受賞)、『オキナワ論』、『だれが沖縄を殺すのか』など多数。
エルドリッヂ研究所HP:http://www.robertdeldridge.com/