呂副総統が銃撃事件の真実を証明 事件発生当時の状況を仔細に語る

呂秀蓮副総統は4月4日、「3・19銃撃事件の実録」を発表し、さきの選挙活動中に起きた陳水扁、呂秀蓮正副総統の狙撃事件について詳細を語った。以下はその要旨である。

 3・19銃撃事件は、いまだに解明されておらず、一部にはわれわれの自作自演ではないかという声まで上がっている。私は最初に銃撃を受けた身として、いま事件発生当時の経過について各界に説明し、事実を明らかにする必要を感じている。

 3月19日の午後、私は陳水扁総統とともに、同市の選挙本部が用意した赤い小型のジープに乗って市内を遊説していた。われわれが台南市の金華路で、爆竹の音が鳴り響くなか、支持者の熱烈な歓迎に手を振り応えていたその時、突然「パン!パン!」という音が耳に飛び込んできた。この瞬間、硝煙で視線は遮られ何も見えなかったが、私は右膝に強い衝撃と痛みを感じた。かがんで見ると、スラックスが破れ鮮血が滲んでいた。私はすぐ随行員に負傷したと告げ、傷の応急処置をしたが、「まさか撃たれたのでは?」という思いが胸に広がっていた。

 この時、私の手が右隣にいた陳総統のジャケットに触れ、何か湿ったものに触ったことに気付いた。見ると総統は手で下腹を押さえながら、もう一方の手はなおも支持者に向かって振り続けている。私が体を起こすと、随行員がジープの防風ガラスの右前方を指差した。するとそこには、輻射状の亀裂が入り、中心に明らかに銃弾と分かる穴が開いていたではないか。私は戦慄を覚えたが、総統はまだ手を振り続けていた。「私たちは2人とも撃たれた。すぐここを離れなさい!」と私は叫んだ。狙撃犯がまだ現場にいて、再度撃たれる危険があったからだ。私の声は周りの音にかき消されたが、私はすぐ病院に連絡するよう指示した。

 総統の顔色は次第に青ざめ、「大丈夫ですか」と聞くと微かに頷いたが、私がガラスの弾痕を示すと、「銃撃でしたか」と顔色を変えた。彼は爆竹が当たったと思っていたらしい。総統の顔色がますます悪くなるのを見て私は焦ったが、しばらくして医療班が到着し、ジープを奇美病院へ誘導した。大勢の護衛に囲まれていたため、総統が病院に入る姿は見えなかった。私が救急室に運ばれた時、腕時計を見るとちょうど午後2時だった。後に証明されたところでは、狙撃時刻は午後1時45〜6分の間、場所は金華路12〜20号の間で発生したとのことである。

 以上、事件発生直後から病院へ到着するまで約15分間の記憶をたどったが、これにより少なくとも次のことが証明できる。

第1に、陳総統と私は確かに3月19日の午後に銃撃を受けたこと。これは決して虚構ではない。

第2に、最初に弾を受けたのは私であり、弾痕を発見したのは私の車に同乗していた随行員であるため、銃撃事件を最初に認識したのは私である。

第3に、事件発生時、私は現場を離れるよう指示したが、犯人を刺激しないよう冷静に対処したため、異常事態に気付いたのは同乗した随行員のみであった。

第4に、私は1週間前にも足を負傷し、車に設置した椅子に座って高い位置にいたため、弾は膝に当たり体は免れた。

第5に、陳総統に当たった銃弾は彼のジャケットの右前方からワイシャツと下着を貫いて腹部を切り裂いたが、その後ジャケットの内側で止まり、幸運にも私には当たらなかった。

これらの経過はすべて真実であり、だからこそ陳総統と私は、社会が不安に陥らないよう、指導者として国民の範となるべく、傷つきながらも平静を保ち、痛みに耐えたのだ。これを疑う人があることは非常に遺憾であり、そうした疑念が撤回されるよう願うものである。【総統府 4月4日】

[4月22日付「台湾週報」(2140号)より転載]



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