台湾の蔡焜霖さんが昨年9月3日に亡くなられたことを知らず、本誌9月4日号にて「Momoチャンネル」が9月1日に放映した蔡焜霖先生へのインタビュー「迫害で10年間収容」と、西日本新聞が8月28日に掲載したインタビュー記事をご紹介したことがあった。
そのとき、本誌で蔡焜霖さんについて、下記のように紹介した。
<台湾がまだ蒋介石独裁政権による白色テロの恐怖におののいていた時代、司馬遼太郎の『台湾紀行』で案内役を務めた「老台北」こと蔡焜燦氏の実弟の蔡焜霖氏は、無実の罪を着せられ、政治犯として10年も太平洋の孤島、緑島(旧・火焼島)に投獄された。
蔡焜霖氏の半生を描いた漫画作品が『台湾の少年』(全4巻)で、日本では岩波書店から2022年7月から2023年1月にかけて出版された。
改めて蔡焜霖氏の来し方や戦後台湾の歴史を知り、1巻を読み終えると次の巻の刊行が待ち遠しかった。
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この『台湾の少年』について、ジャーナリストの野嶋剛氏が本日付の「nippon.com」に書評を寄せている。
野嶋氏は「『白色テロ』の恐怖におびえ、自ら被害者となったが、台湾の経済成長を体感し、民主化を喜びながら人生を終えた。
蔡さんのような世代の台湾人が、最も波乱に満ちた人生を台湾史と共に歩んだと言えるだろう」と、昭和5年(1930年)に生まれた蔡焜霖さんのような日本語世代について概括し、蔡さんの個人史で特筆すべき少年野球への貢献について「もし蔡さんがいなければ紅葉隊の活躍もなくなり、台湾の野球史は大きく変わることになったはずだ」と記す。
同感である。
まさしく蔡焜霖さんの生涯は「台湾現代史を体現する見事な一生」だった。
『台湾の少年』が刊行されてから1年以上経つが、1年を経っても本書はまったく色あせない。
読み継いでいって欲しい本だと心から願っている。
だから、野嶋氏もいまになって書評という形で蔡焜霖さんを顕彰したのかもしれない。
蔡焜霖さんを改めて偲びつつ、野嶋氏による『台湾の少年』の書評を紹介したい。
亡くなられたときの本誌の訃報に付した略歴も併せて紹介する。
◇ ◇ ◇
蔡焜霖(さい・こんりん)昭和5年(1930年)12月18日、台湾・台中州清水街(現台中市清水区)に生まれる。
旧制台中第一中学校の在学中に参加していた読書会が共産党の外部組織の集まりとされたことで、卒業後の1950年9月に逮捕。
非法組織参加の罪で懲役10年の刑を課せられ、台湾本土の拘置所で8ヵ月、残り9年4ヵ月は火焼島(緑島)で服役。
1960年9月に釈放後、淡江大学フランス文学科に学び、1966年に児童誌『王子』を創刊。
1968年に台湾東部僻地の紅葉小学校の少年野球チームを援助して全国大会で優勝させたことにより、台湾少年野球の黄金時代を現出する契機を作る。
その後、実業界で活躍する一方、流暢な日本語を駆使して翻訳者や白色テロの解説者としても活躍。
2021年4月29日、旭日双光章を受章。
蔡焜燦氏は実兄。
2023年9月3日、逝去。
野嶋 剛(ジャーナリスト)台湾現代史を体現する見事な一生:游珮芸・周見信著、倉本知明訳『台湾の少年』【nippon.com:2024年2月18日】https://www.nippon.com/ja/japan-topics/bg900520/?cx_recs_click=true
本書『台湾の少年』は、ある台湾人の体験を通した台湾現代史の描写である。
その台湾人の名前は蔡焜霖(さいこんりん)さん。
全4巻から成る各巻のタイトルはそれぞれ「統治時代生まれ」「収容所島の十年」「戒厳令下の編集者」「民主化の時代へ」となっている。
蔡さんは1930年、日本統治時代の台湾の台中・清水に生まれた。
比較的裕福な家庭に育ち、読書好きの勤勉な若者であった。
司馬遼太郎『街道をゆく 台湾紀行』に「老台北」として登場する蔡焜燦さんは兄にあたる。
1949年に高校を卒業後、地元の役場職員になるが、知人の虚偽の密告によって無実の罪で逮捕され、懲役10年の判決を受ける。
離島・緑島にある政治犯の収容所に送られ、強制労働と思想教育を受けながら、1960年9月まで収容された。
出獄後、「前科者」のレッテルに苦しみながら、漫画の翻訳に携わったことがきっかけで編集者になり、複数の出版社を経て、児童雑誌『王子』を創刊し、大きな反響を呼ぶとともに、台湾の児童文化に大きな足跡を残した。
その後は台湾初の百科事典の刊行や女性誌『儂儂』(non・no)の創刊に携わる。
蔡さんが生まれた1930年は、日本の台湾統治の後期にあたり、精神的にも日本人としての教育を色濃く受けた。
日本人として育ち、1945年の日本の敗戦と同時に統治者となった中華民国によって、中国人教育がなされ、厳しい反共思想も導入された。
「白色テロ」(当局による民衆への政治弾圧)の恐怖におびえ、自ら被害者となったが、台湾の経済成長を体感し、民主化を喜びながら人生を終えた。
蔡さんのような世代の台湾人が、最も波乱に満ちた人生を台湾史と共に歩んだと言えるだろう。
白色テロのなかで刑場の露と消えた人々もいれば、名誉回復が間に合わずに世を去った人々もいる。
日本人であるのか、台湾人であるのか、あるいは中国人であるのか、アイデンティティの狭間で苦しんだ人たちもいた。
本書のなかで心を打つのは、台湾のどこにでもいそうな、それでいて特別な経験を経てきた台湾人の生き様が非常に正確に描かれているところにある。
蔡さんは、その風雨のなかで、揺らぐことなく、弱音を吐かず、淡々と前に向かって歩んでいく。
その姿こそが、最も読者の心を打つところでではないだろうか。
その一人一人の強さが、台湾という社会が持っている包容力やレジリエンス(反発力)の源であり、私たち外国人が台湾を尊敬する理由でもある。
蔡さんは、出版人であり、広告人であり、知識人であった。
もし時代の大きな変転がなければ、「少年」の頃の願いの通り、教育者か、あるいは研究者になっていたかもしれない。
日本語能力も高く、中国語も素早く学習した。
比較的「前科」が影響しない、それでいて博識である能力を生かすことができる出版に進んだのは必然だったかもしれない。
本書のなかで「知られざる秘話」という意味で最も興味深いエピソードは、台湾野球の伝説、紅葉少年野球チームとの関わりである。
台湾では日本統治時代に野球が広がった。
だが、戦後はサッカーとバスケットボールを重視する国民党政権の下、野球は力を入れられなかった。
1960年代から、巨人で活躍した王貞治が中華民国籍だったことで王の台湾訪問と同時に野球ブームに火がつき、その最中の全国少年野球大会で台東の先住民地域の紅葉小が地区代表に選ばれた。
しかし、経費不足で台北で開催される全国大会に参加できないというニュースを目にした蔡さんは、子供向けの出版社を経営する者の責任として台東の野球少年たちを招待することを決意する。
会社のバスで30時間をかけて子供たちを迎えに行き、出版社の事務所で寝泊まりさせた。
紅葉小チームは全国大会で見事に優勝し、その後、台湾を訪れた日本からの招待チームも打ち破って、台湾社会を歓喜させた。
この快挙をきっかけに、台湾の少年野球の育成に国家が本格的に力を入れることになり、のちの郭泰源や郭源治、大豊、呂銘賜などの名選手を輩出する流れを作った。
当時の台湾は、中国の外交攻勢で国際的に苦しい立場に置かれ、全国民が意気消沈しているなかで、台湾社会を勇気づけた出来事として紅葉小チームの活躍は当時の人々共通の記憶になっていると同時に、台湾の少年野球の発展史に欠かせない一幕として歴史に記されている。
しかし、評者自身、その背後に蔡さんの献身的支援があったことは知らなかった。
もし蔡さんがいなければ紅葉隊の活躍もなくなり、台湾の野球史は大きく変わることになったはずだ。
本書の最後のところでは、台湾における「移行期正義」(過去の国家による暴力や人権侵害の解決を目指す取り組み)の実現によって、蔡さんの名誉回復がなされ、政治犯の汚名も公式に取り消されたことが記されている。
2021年のことだった。
1951年の逮捕から70年を経てのことであり、なんと長い闘いだったことか。
蔡さんは国家人権博物館で自らを降りかかった災厄である白色テロの歴史を伝え続ける語り部の活動を続け、2021年、日本政府より旭日双光章を授章。
2023年9月に亡くなった。
蔡さんの見事な人生は歴史に刻まれた。
それは本書が描き出すように、蔡さんの人生に大きな価値があったからであると同時に、同じ時代を生き抜き、民主と自由を勝ち取った全ての台湾人の人生に価値があるからである。
『台湾の少年(1〜4巻)』・発行元: 岩波書店
・発行日: 2022年7月7日(1巻と2巻) 2022年10月13日(3巻) 2023年1月24日(4巻)
・判型・頁数: B5変型版 170ページ(1巻) 同 190ページ(2巻) 同 184ページ(3巻) 同 174ページ(4巻)
・価格: 各2640円(税込み)
・ISBN:978-4-00-061545-7(1巻) 978-4-00-061546-4(2巻) 978-4-00-061547-1(3巻) 978-4-00-061548-8(4巻)。
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