る嘉義県東石郷の「富安宮」、飛虎将軍として杉浦茂峰・海軍兵曹長を祀る台南の「鎮安
堂・飛虎将軍廟」、廣枝音右衛門を祀る苗栗県南庄郷の「獅頭山勧化堂」、白団団長だっ
た富田直亮・陸軍少将を祀る新北市樹林の「海明禅寺」などがある。
台湾最南端の鵝鑾鼻には日本人戦歿者を祀る「潮音寺」もあり、牡丹社事件で犠牲とな
った「大日本琉球藩民五十四名墓」も屏東県車城郷にある。また神艦「38にっぽんぐんか
ん」を奉納する高雄市の「紅毛港保安堂」もある。いずれも、台湾の人々によってねんご
ろに弔っていただいている。
本会が主催する「日本李登輝学校台湾研修団」(略称:李登輝学校研修団)では野外研
修の際、台湾各地を視察している。今年5月初旬に予定している第21回研修団では「台湾で
神様になった日本人」をテーマに富安宮や飛虎将軍廟などを訪ねようと計画している。
このたび高雄市の「紅毛港保安堂」は、新しいお堂が完成して仮堂から神像や神艦を遷
座する落慶祭を行ったという。もちろん、ここも李登輝学校研修団では野外研修で訪れる
予定だ。
台湾・高雄に日本の「軍艦」祭る新堂完成 日本統治時代の軍港、今も追悼供養
【産経新聞:平成26(2014)年1月10日】
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140110/chn14011007390000-n1.htm
写真:完成した保安堂新堂に神艦「にっぽんぐんかん」を遷座する管理委員会のメンバー
ら=2013年12月29日、台湾・高雄市で(吉村剛史撮影)
日本の「軍艦」などを祭っている台湾南部・高雄市の道教霊廟(れいびょう)「紅毛港
保安堂」の新堂が完成し、仮堂から神像や神艦を遷座する落慶祭がこのほど行われた。
高雄は日本統治時代、海軍と軍港の街として知られた。同堂によると、終戦直後、漁師
が漁網にかかった頭蓋骨を地元の廟に祭って慰霊したところ、大漁が続いたため、1953年
に保安堂を建立。その後、頭蓋骨が「日本海軍38号哨戒艇の艇長」を名乗って漁師の夢枕
に立ち、「部下を日本へ連れて帰れなかったのが残念」と語ったと伝えられている。そこ
で漁師有志が90年ごろ、「魂だけでも帰れるように」と、「日本の軍艦」の模型を作り神
艦「38にっぽんぐんかん」として奉納、追悼供養したという。
港に面した旧堂は再開発で2007年に移転を迫られ、堂管理委員会では神艦などを仮堂に
遷座し、08年から3500万台湾元(約1億2200万円)を投じて新堂を建設。うち100万元(約
350万円)は邦人有志の寄付という。
昨年末に行われた落慶祭には、陳菊・高雄市長も参列した。
市中心部から遠く、邦人参拝客は少ないが、亡父が海軍志願兵だった縁などから毎年、
団体で慰霊訪問を続けてきた福岡市の専門学校経営、小菅亥三郎さん(66)は「日本人と
してはとてもありがたいこと」と謝意を表明。管理委員会常務監察役の趙麗恵さん(53)
も「新堂で新年を迎えられてうれしい。日本からも多くの方にお参りにきてほしい」と語
っていた。
(高雄 吉村剛史)