http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2867897/8696769?ctm_campaign=txt_topics
台湾人は桜の花が大好きだ。言うなれば、台湾の人びとは日本の物なら、ほとんど何で
も好きなのだ。かつて台湾を50年にわたって統治し、ときに圧政を敷いたにも関わらず、
日本は非常に好意的な印象を台湾に残した。
桜は旧植民地に現在も残る日本の「ソフトパワー」の勝利といえるかもしれない。台湾
でも毎春、大勢の人々が桜の花を楽しむ。その姿は日本で見られるものと同じだ。
「桜の花を見ると、まるで日本にいるような気持ちになる」。台北(Taipei)郊外の北
投(Beitou)区で白やピンクの桜が咲き誇る丘を歩きながら、スーザン・ウーさん(50)
は語った。
花見の習慣は、この2〜3年で特に人気が急増。台湾の人々は激しい交通渋滞にとらわれ
る危険をおかしてでも、郊外の花見スポットに殺到している。
花見客の間で特に人気が高いのが北投の山々だ。北投では、区当局が桜の植林を呼び掛
け400世帯が桜を植えたことから、桜の名所となった。桜並木地区を担当する当局者は、
「以前はあまり知られた場所ではなかったが、桜との関連で今は有名になった」と語る。
こうした桜の流行を、他の自治体も見逃してはいない。
台北郊外の三芝(Sanchih)では、農家に助成金を出して桜の植林を奨励。今では年間60
万本の桜の木を市場に供給している。三芝農協の職員によれば「多くの桜農家が桜人気の
恩恵に預かっている」という。
■植民地時代に持ち込まれた日本文化
日本文化を象徴する桜への愛着について、台湾における日本文化の絶大な影響力を示す
ものだと、専門家らは指摘する。
「日本の影響力はとても大きい。その範囲も、インフラから人びとの考え方や態度まで
幅広い」と、国立台北教育大学(National Taipei University of Education)の李筱峰
(Lee Shiao-feng)教授は語る。
1895年、日清戦争で日本に敗れた清朝は台湾を日本に割譲した。以降、第二次世界大戦
で日本が敗戦する1945年まで、台湾は日本の統治下に置かれた。
日本統治の初期にあたる20世紀初めごろには、台湾各地で激しい抵抗が発生。日本も厳
しい弾圧で臨んだ。しかし、その後、軍政から民政統治に移行すると日本は積極的に台湾
の経済開発を推進する。台湾南北をつなぐ鉄道を敷設し、港や発電所を建設。伝染病の駆
逐に務め、識字率を大幅に高めた。また野球など日本文化や習慣を台湾に伝えた。
李教授は「日本の開発計画が、近代前の社会入りする台湾の基礎を築いた」と指摘す
る。「その過程で、台湾の人びとは統治側の人々の習慣を真似ながら、徐々に野球を覚
え、桜を愛で、温泉を楽しむようになった」
■愛着はあっても真の理解は難しい
李教授によれば、日本の影響は1945年以降も、ほとんど衰えることなく台湾に生き続け
ている。今では台湾の若い世代が日本のドラマやポップス、観光地やレストランを紹介す
るテレビ番組を楽しみ、日本文化を受け入れている。
こうした現象は朝鮮半島と完全に異なる。1910年から45年まで日本統治下にあった朝鮮
半島(現韓国・北朝鮮)では、日章旗のもとでの日々がいかに残忍で過酷だったかの記憶
が、現在も語り継がれている。
日本は朝鮮半島にも桜の木を持ち込んだ。花見の文化は韓国でも受け入れられている
が、日本時代の桜は現地産のものに植え替えられた。台湾と韓国の違いは明白だ。
だが研究者たちも、日本文化において桜が持つ哲学的な含意を、台湾の桜愛好家たちが
会得するには、まだ時間がかかるだろうと指摘する。
「台湾人が桜を楽しむとき、彼らは単に花の美しさを堪能しているだけだ」と、台北の
淡江大学(Tamkang University)日本語文学部の馬耀輝(Maa Yaw-huei)学部長は言う。
「だが、日本人の目には、桜のはかない美しさの中に哀しみの感覚が見えている。あれほ
ど美しい花が散っていくのを眺めながら、死を思い起こしてもいるのだ」
台湾の人びとが日本人のように振る舞うことはあっても、日本人のように思考すること
はないだろうと指摘する声もある。
300年以上も前に初めて台湾に持ち込まれた中国文化は、日本が台湾の人びとを「日本人
化」する皇民化政策を行った植民地時代にも台湾で生き残った。「日本は台湾に新たな文
化の要素を加えた。だが、中国文化の骨格が損なわれることはないだろう」と李教授は語
った。
(C)AFP/Benjamin Yeh