は基本的価値観を共有する重要なパートナー」と表明したことを紹介し、その全文も併せ
て紹介したが、この『交流』1月号には池田維(いけだ・ただし)・元日本交流協会台北事
務所代表(駐台湾大使に相当)も一文を寄せている。
国交のない台湾との「実務関係」の最前衛で体験した「うれしかったこと」と苦労した
ことを記し、「外交関係がない限界」にも言及している。台湾に関心を抱く方々にぜひ味
読いただきたく全文を紹介したい。
台北事務所代表時代の思い出 池田 維(公益財団法人交流協会顧問)
【交流協会:台湾情報誌『交流』2013年1月号(NO.862号)】
私は 2005 年5月より 08 年7月まで3年2か月 の間、交流協会台北事務所代表として台湾
で勤務した。はじめの3年間は陳水扁総統(民進党)の時期、あとの2か月間は馬英九総統
(国民党)の時期に当たっていた。台湾での勤務は私にとって40 年ぶりであった。この地
は外務省入省直後の1962 年〜64 年、在中華民国日本国大使館所属の外交官補として中国
語研修を行った思い出の場所でもある。
この 40 年間における台湾の変化は実に大きい。経済規模の拡大、一党支配の戒厳令下
から自由・民主・人権を重視する社会への明白な変容、「台湾人意識」の増大、などであ
る。日本との間では、1972 年9月、日中国交正常化と同時に外交関係は断絶した。
在勤中、とくにうれしかったことを挙げてみよう。「日本が一番好きだという人の数が
アメリカを抜いて一位になった。これは画期的なことですよ」と台湾外交部のある幹部が
教えてくれたのは2007 年のことである。この時、外交部が委託して行ったアンケート調査
によれば、台湾人が「最も親近感を感じる国」として、4か国のなかでは、日本 35%、米
国 33%、韓国10%、中国9%の順となっていた。その後に取られたいくつかの別のアンケ
ート結果によっても、日本に対する台湾人の親近感は他国を抜いて断然多くなっている。
東日本大震災の際、台湾の市民たちから日本に寄せられた義援金が、一国としては世界最
大規模の200億円に達したことは、このような台湾の人たちの対日観の表れにちがいない。
日本人は「患難見真情(患難に際してはじめて、ひとの本心がわかる)という諺の意味を
噛みしめることになった。
2007年初頭に、多年の懸案であった台湾高速鉄道がついに完成し、開通にこぎつけたこ
とは日台関係における画期的な快挙だった。一部ヨーロッ パの技術との調整、BOT方式
という新たな試み、などいくつかの難問を克服し、完成したこの高速 鉄道は、日本新幹線
技術の初の輸出例である。今日、345キロの台北・高雄間を、無事故できわめて順調に運行
されており、その結果、台湾全土が「一日生活圏」に変貌した。
他方、在勤中、日台間で処理・解決の容易でないものもいくつかあった。2007年6月、李
登輝氏は総統(1988〜2000)退任後3回目の訪日を行ったが、それは、「奥の細道」を探訪
する文化・学術を主目的とする旅であった。それまでの2回の訪日と異なり、その時はじめ
て李氏が首都東京の地をおとずれ、聴衆に対し講演し、記者会見を行えるよう必要な諸措
置がとられた。中国はこれまでと同様、いろいろなレベルで李氏の訪日は「台湾独立とい
う政治的活動のために舞台を提供するもの」として、日本政府に抗議した。これに対し日
本側は、李登輝氏は総統をやめて何年にもなる一私人であり、かつ、日本文化に精通して
おり、台湾独立という政治的活動のために訪日するのではなく、問題はないと判断した。
台北における交流協会主催の天皇誕生日レセプ ションが開催されるようになったのは、
2003年からであり、私が在勤中、3回主催する機会を得た。そして、2007年12 月のレセプ
ションの際、はじめて台湾側から外交部長(大臣)が出席し祝辞を述べたことに対し、中
国の抗議を心配する声もあった。しかし、他の国々が民間機構を通じ、同様の祝賀行事を
台北で行う時とまったく同じ扱いであり、日本の場合にのみ抗議することはとうてい受け
入れがたい、と日本側では考えた。
以上の2例が示すように、本来、日台関係と日中関係は別物であるが、中国の動きによ
り、日中間で外交問題になるケースは少なくない。
在勤中、もっとも処理のむずかしかった案件は2008 年6月、馬英九政権成立直後に、尖
閣沖合で台湾遊漁船「聯合号」と日本の海上保安庁巡視艇が接触し、台湾船が沈没したケ
ースだ。日台関係が一時的にせよ、これほど緊張したことを私は経験したことがない。日
台双方の努力により、なんとか尖閣の領有権と切り離した形で、日台関係全般に深刻な悪
影響を及ぼすことなく収拾できたことは不幸中の幸いであった。その時、台湾との間で
は、尖閣をめぐる問題は、漁業交渉を通じ処理するのが正攻法であることを思い知らされ
た。
今日、日台関係は外交関係がないという限界をもつにもかかわらず、先人たちの努力に
より、全体として良好かつ緊密である。ただし、アンケートに示された台湾人の対日観に
満足することなく、日本人としてはこのような台湾の人たちに何をすべきか、何が出来る
のか、を常に自らに問いかけていく必要があろう。