【朝日新聞:2016年5月30日】
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12383491.html?rm=150
写真:蔡英文氏の父の実家=屏東県楓港、鵜飼啓撮影
台湾総統選の投開票まであと1週間と迫った1月9日、民進党の公認候補だった蔡英文(ツァイ
インウェン)はラストスパートの第一声を台湾南端の屏東県の小さな村で上げた。
「屏東の娘、蔡英文を総統に押し上げて欲しい」
台湾本島の西岸に沿った幹線道路から少し海辺に入ったこの村、楓港は蔡の父、潔生の生まれ故
郷。細い路地に面した2階建ての家がその実家だ。
蔡の自伝によると、潔生は18歳のとき、事実上日本の支配下にあった中国東北部、当時の満州に
渡り、飛行機の修理を学んだ。終戦で日本を経由して台湾に戻り、台北で自動車修理工場を立ち上
げる。駐留米軍の仕事などを受け、事業は成功。後に不動産投資も手がけ、富を築いた。
楓港村村長の林栄吉(57)は、1971年に潔生の工場に働きに行った。今は高級ホテルの玄関前の
噴水になっている場所に工場があり、当時、村の多くの若者が働きに行った。林は潔生について
「人の悪口を決して言わないが、厳しい人だった。仕事がうまくできず、杖でたたかれたこともあ
る」と振り返る。
厳格さは身内にも向けられた。一家は後に台北郊外の陽明山に引っ越すが、ぜいたくは許され
ず、蔡は冬の寒さが厳しい朝でも洗車を命じられたという。寡黙で、そのせいか子どもたちも口数
が少なくなった。信用を重んじ、子どもとの約束でも破らない人でもあった。蔡は、そうした父の
影響を強く受けていると自認する。
この時代の台湾では事業に成功した男性が複数の妻を持つことが少なくなく、潔生もそうだっ
た。蔡の母は4番目の妻で、蔡は兄弟姉妹11人の末っ子だ。
蔡一家の関係は良好とされる。それでも、蔡にインタビューを重ねて「蔡英文 交渉テーブルか
ら総統府へ」という本を書いたジャーナリスト、張瀞文は「蔡は各方面の利益を考えてバランスを
取ることができる」とし、こう話す。「家の中で誰と誰が仲が良いのか、何を言えばいいのか、常
に感じ取っていた。それが今につながっているのではないか」=敬称略
(屏東=鵜飼啓)