児玉神社の記載をめぐる藤沢市観光課と藤沢市観光協会への訂正申し入れ

柚原事務局長の申し入れに藤沢市観光協会が「訂正」の確約

 去る6月26日、「江の島イラストマップ」に児玉神社の記載がないことについて、このイ
ラストマップを作成している藤沢市観光課と藤沢市観光協会宛に訂正依頼状を送って申し
入れました。

 すると、6月28日、藤沢市観光協会から、8月末にできあがる改訂イラストマップ(20万
枚)では訂正すべく児玉神社と打ち合わせしているとの連絡が入りました。また、藤沢市
や観光協会で出している他のパンフレット類も来年春までに訂正すると確約していただき
ました。あまりに素早い対応に驚いていますが、ともかく訂正していただけるとのことで
した。

 なお、依頼状は急いで書いたものですからほとんど記憶に頼って書いていて、後で少し
調べ直しましたら、児玉源太郎と後藤新平との関係について「明治31年(1898年)前後か
ら始まります」と書きましたが、児玉が後藤を見出したのは、日清戦争が終わりに近づい
たころ、陸軍参謀だった児玉が日清戦争の帰還兵に対する検疫業務の責任者となった明治
28年(1895年)、後藤新平も広島・宇品港で行われた検疫業務に従事し、世界でも例がな
い、帰還兵23万余の検疫をわずか2ヵ月で完了させたその行政手腕の巧みさから児玉の目
にとまったことが出会いの第一歩でした。

 ご参考までに、その訂正依頼状をご紹介いたしますが、藤沢市観光課と藤沢市観光協会
の連絡先は下記のとおりです。
                  (メールマガジン「日台共栄」編集長 柚原正敬)

■藤沢市役所 経済部 観光課
 〒251-8601 神奈川県藤沢市朝日町1番地の1
 電 話 0466(50)3531(直通) FAX 0466(24)5294
 E-mail kankou@city.fujisawa.kanagawa.jp
 http://www.cityfujisawa.ne.jp/kankou

■(社)藤沢市観光協会
 藤沢市片瀬江の島観光案内所 〒251-0035神奈川県藤沢市片瀬海岸1-14-8
 TEL:0466-24-4141 FAX:0466-28-1218


                                 平成18年6月26日

藤沢市観光課、藤沢市観光協会御中

                             日本李登輝友の会
                               事務局長 柚原 正敬

 突然のお便りで失礼します。
 私どもは台湾との文化交流を主に活動している日本李登輝友の会と申します。作家の阿
川弘之氏を会長に4年前に設立した民間団体で、現在の会長は前拓殖大学総長の小田村四
郎で、私はそこの事務局長をつとめている柚原と申します。
 本来なら書状郵送を以てすべきところ、内容の喫緊性に鑑みFAXにてお送りすることをご
容赦願います。

 さて、今年は日本の台湾統治時代に第4代目の総督をつとめた児玉源太郎大将が明治39
年(1906年)7月23日に亡くなられて丁度100年の節目の年に当たります。
 そこで出身地山口と江の島に児玉神社がありますので、東京から近い児玉神社に関係者
と参拝しようと思い江の島を訪ね、藤沢市観光協会様が配布されている「江の島イラスト
マップ」を拝見したところ、疑問に思われる箇所が目に留まりましたのでご連絡申し上げ
ます。

 まず、イラストマップに江島神社の記載はあるものの、児玉神社はなく、「後藤新平の
詩碑」解説の中に「参道の左手にある児玉神社の奥には」という箇所にかろうじて記載し
てある程度です。なぜ大正時代に建立されている児玉神社の紹介がないのか、何か理由が
あるようでしたら教えていただきたくお願いします。

 児玉神社に確認したところ、これまで観光協会様より紹介依頼もなかったし、記載しな
いで欲しいという依頼をしたこともないというご返答でしたので、このイラストマップを
作成されている藤沢市観光課及び藤沢市観光協会様のご判断によるものと思いお尋ねする
次第です。

 イラストマップの「後藤新平の詩碑」解説には、後藤新平の事績はともかくとして、「
児玉源太郎とは、満州で親交を深めたと伝えられ」とあります。

 しかし、後藤新平は内務省衛生局長の折に第4代台湾総督となる児玉源太郎が民政長官
として抜擢登用した人物であり、その関係は明治31年(1898年)前後から始まります。児
玉が総督の地位にありながら中央で陸軍大臣や内務大臣、満州軍総参謀長などを兼務した
ことで、後藤が民生長官として台湾の鉄道や港湾などのインフラ整備に辣腕を振るい、後
世に評価される次第です。

 さらに、後藤新平が南満州鉄道総裁に正式に就任するのは明治39年(1906年)であり、
児玉源太郎が台湾総督を退くのは明治39年4月で、確かに児玉は南満州鉄道設立委員長に
就任はしたものの、その親交を深めたのは台湾時代であり、決して満州時代ではありませ
ん。

 従いまして、イラストマップの「児玉源太郎とは、満州で親交を深めたと伝えられ」と
いう記述は、伝聞の形をとってはいるものの、史実を調べればすぐに判明することですの
で、なぜこのような記述となっているのか理解に苦しむところです。その理由をご教示い
ただければ幸いです。

 ところで、江の島の児玉神社は大正7年のご創建で山口の児玉神社より5年も早く建立さ
れておりますが、ご高承のように、創建の議が起こったときに台湾の人々の奉賛によって
造営された御社です。児玉源太郎がいかに台湾の人々に慕われていたかを示すエピソード
として、今に伝えられています。

 また、児玉神社の社殿や神楽殿は台湾の阿里山檜で造られ、神楽殿の前にある狛犬もま
た台湾・台北の観音山から切り出した観音石を用いて台湾の名工が製作したものであり、
昭和5年11月に第13代台湾総督の石塚栄蔵が奉献したものです。

 戦争も末期のころ、高座海軍工廠で戦闘機生産に従事していた台湾少年工の当時の写真
を見ますと、休みの日にはよく江の島に遊びに来ております。児玉神社に参拝したかどう
かは詳らかではありませんが、恐らく参拝していたものと思われます。

 児玉神社が台湾とご縁が深い神社であることは台湾の人々も知るところですので、観光
で来た際に参拝していますし、台湾からの留学生なども参拝しているという話をよく聞き
ます。

 しかしながら、イラストマップに児玉神社は掲載されておらず、後藤新平の詩碑の解説
にも「台湾」の文字はなく、児玉神社と台湾の関係は一切分からないようになっています
。これでは台湾の人々の多くは訪ねようがありません。

 昨年9月26日より台湾からの観光客がノービザで来日できるようになり、昨年は116万人
もの観光客が台湾から来日しています。これは全体の約27%を占めています。韓国からの
観光客が121万人でトップですが、これは日本を経由して第三国へ行く一時上陸者の大半を
観光客として扱っているためで、実質的には台湾からの観光客がトップとなっていること
はご高承の通りです。

 ほとんどの自治体が台湾からの観光客誘致に熱心な状況を見ていますと、イラストマッ
プだけで判断するのは早計かもしれませんが、少なくとも藤沢市が江の島という観光地を
紹介するイラストマップに、台湾と縁が深い児玉神社を掲載していないことや後藤新平詩
碑の解説で台湾のことが一言も出てこないことを見る限り、観光誘致にどれほどの力を注
がれているのか疑問を抱かざるを得ないところです。

 つきましては、イラストマップをはじめ江の島の観光案内には必ず児玉神社を紹介し、
ご祭神の児玉源太郎と後藤新平の関係も台湾時代に育まれた旨を記していただきますよう
お願い申し上げる次第です。

 来る7月23日には児玉神社の例大祭が斎行され、「台湾の父」と慕われる李登輝前総統が
揮毫された「児玉神社」という扁額の除幕式も行われるとのことで、台北駐日経済文化代
表処(駐日台湾大使館に相当)の許世楷代表も台湾を代表して参列される予定である旨を
仄聞しております。

 そうなりますと、台湾からの観光客も大いに増えることは容易に想像できます。藤沢市
観光課及び藤沢市観光協会様には私どもの趣旨をご理解賜り、速やかなる改訂をお願い申
し上げます。                               草々


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