「先の大戦が終わったとき、時の中華民国総統蒋介石閣下は、『怨みに報いるに徳を
以ってせよ』と中国の民衆に呼びかけられ、そのお陰で、中国大陸で茫然自失の思いで
敗戦を迎えていた軍人・軍属・その家族、二百万人を超える我々の先輩は、無事日本に
帰ることができ、今日の日本の繁栄に尽力することができました。戦後、そのことをお
知りになった岸信介先生は『徳に報いるに徳を以ってせよ』と、戦後一貫して日華友好
に尽力を注がれてこられました」
これは、私の亡父の挨拶の定番でした。私の父は山口県生まれで、故元内閣総理大臣
岸信介先生の一の門下生を自認しておりました。台湾には昭和四十年代から行っていた
ようです。亡父は岸先生が逝去された後、岸先生の遺志を引き継ぐのだと山口県に日華
交流協会を設立し、地域の皆さんを連れての台湾訪問、日本国内での台湾の写真展開催、
台湾留学生の皆さんとの交流など民間レベルでの友好親善に努めてまいりました。平成
三年に、愛知県にも日華交流協会を設立し、私が会長を拝命し今日に至っております。
以来、留日名古屋華僑総会の国慶節のお祝いには毎年参加し来賓の挨拶をしてまいり
ましたが、世紀が変わる頃から亡父の定番の挨拶をしますと反応が以前と少し違うなと
感じておりました。ある年、参加者の一人が「先生、もうあの挨拶はやめられた方がい
いですよ、時代が変わりましたよ」と言って下さいました。その方こそ、この四月二十
六日、岐阜県支部の支部長に就任されました村上俊英さんでした。
昭和五十四年の初訪台以来、二十回以上訪台していますが、一昨年の愛知県支部設立
後の台湾研修旅行は、まるで違う国を訪れているぐらいの衝撃でした。また、参加者の
皆さんとの情報交換、私は一方的に情報をもらうばかりですが、正に目から鱗が落ちる
お話ばかりでした。
今年も、この六月十三日から十六日まで、誕生間もない岐阜県支部と合同の台湾研修
旅行に行ってまいりました。六月十日の尖閣諸島魚釣島の台湾遊漁船沈没事故のため、
許世楷前駐日代表も台北に呼び戻され、国民党立法委員から「日本寄り過ぎる」と罵声
をあびせられるなど、マスメディアは日本叩きに躍起の状況でした。今回の訪台は、李
登輝閣下との面談に加え国民党本部の表敬訪問も目的としていましたので、どうなるこ
とかと心配しておりましたが、李登輝閣下との面談は、もちろん予定通り叶い、昨年以
上にお元気な李登輝閣下のお話を承り一同大感激いたしました。また、国民党が政権を
とったからには、国民党を知り国民党の皆さんにも日台共栄の重要性を理解していただ
こうという支部会員の意見を受け、国民党本部の表敬訪問を企画しました。これも予定
通り国民党立法委員と一時間以上懇談をすることができ、その後、台湾外交部を表敬訪
問し外交部高官とも懇談することができました。
今回の訪台で感じましたのは、民主国家というのは、マスメディアが第一の権力のよ
うに振る舞いがちであるということです。マスメディアでは、日本叩きが盛んに行われ
ていても、多くの台湾の方は冷静でこれまでの訪台と全く変わることはありませんでし
た。国民党本部、外交部でも、自由・民主・基本的人権の尊重という同じ価値観を持っ
ていない国とは政治的には一緒になれないという話をお聞きし、少し安心しました。
日本李登輝友の会入会の前後で台湾に対する知識は大きく変わりましたが、信義を重
んじる台湾の皆さんが大好きであるという思いは変わっておりません。今後も、日台共
栄を目指し活動してまいる決意でございます。