与那国島行幸を台湾から奉迎した李英茂氏の日記

 産経新聞に連載の「日台をつなぐ絆 昭和天皇訪問100年」の最終回で取り上げられた李英茂氏は、今も故蔡焜燦氏を代表とする「台湾歌壇」のメンバーです。3月の歌会にも宜蘭から参加されていました。

 宜蘭県南方澳から両陛下の与那国島行幸を奉迎してから半月後の2018年4月22日、台湾歌壇の月例会で、李英茂氏は産経新聞が一部を紹介した日記の全文を紹介しています。本当に臨場感あふれる日記で、李英茂さんたちの真心を生き生きと伝えています。

 後日、月例会に同席した傳田晴久氏が「台湾通信」でこの日記の全文を伝えていましたので、本誌2019年3月27日号で紹介しましたが、この機会に再掲してご紹介します。

—————————————————————————————–天皇皇后両陛下遥拝  傳田 晴久【台湾通信(第135回):2019年3月26日】

◆はじめに

 昨年(2018年)3月27日〜29日に行われた天皇皇后両陛下沖縄県行幸啓に特別な思いを寄せられる台湾の方々が居られました。両陛下は初めて日本の最西端の地「与那国島」を訪ねられ、西崎(いりざき)にある「日本最西端の碑」をご覧になられましたが、その同時刻、海を隔てた目と鼻の先の地で、両陛下を遥拝された方々です。心打つものがあり、今回報告させて頂きます。

 この原稿は昨年5月に完成させましたが、いろいろ事情があり、発行をお待ちいたしておりました。しかし、光陰矢のごとし、御代替わりの時期が迫って参りました。平成の御代のうちに発行したいとの思いで、敢えて発行させていただきます。

◆台湾歌壇4月度月例会

 短歌を楽しむ会「台湾歌壇」については何時か詳しくご紹介したいと思いますが、昨年(2018年)4月22日に行われた月例会で、びっくりするようなことが起こりました。

 月例会は毎月第4日曜日に台北市内にある国王大飯店のレストランを会場にしてとりおこなわれます。事前に会員の皆様作成の短歌の一覧表が配布され、昼食を取りながら選歌、昼食後選歌並びに歌評の発表がなされますが、この日の出席者は34名、寄せられた短歌は62首でした。ざっと目を通しますと、明らかにこの度の天皇皇后両陛下行幸啓を詠ったものが3首もありました。

 食事が一通り済み、いよいよ歌会を始めようとした時、歌会の事務局長さんが、「メンバーの李英茂さんから、先日の天皇皇后両陛下の沖縄県行幸啓についてのご報告があります」とのご紹介がありました。

◆李英茂さんの日記

 李英茂さんは正面に天皇皇后両陛下の御写真を飾り、その前で「私のその日の日記」を読み上げられました。

<3月28日水曜日・晴時々薄曇り

 一昨日からNHKは連日天皇皇后両陛下の沖縄訪問を報道しておりました。今回は日本最西端の与那国島をもご訪問なさるそうです。海の向う僅か110Km先には台湾東北部の南方澳漁港があり、ここ蘇澳鎮は石垣島と姉妹締結がある。天気の良い日には新高山だけでなく、宜蘭の太平山も見えるとか。日本最果てなる与那国島、その石碑の前に立ち、両陛下は海の向こうを見つめ、連合国による激しい空襲もあった台湾への思ひもお持ちではないだろうか。

 今朝はいつもより早く目が覚め、先ず前日に準備した資料をチエックする。それは天皇皇后両陛下の御写真(昔は御真影と呼んだ)、次に陛下の皇太子時代にご活躍なされた乗馬姿(明石元紹の著作による〈今上天皇 つくらざる尊厳〉)、それから12年前交流協会池田大使の特別招待を受けて天皇陛下お誕生日のレセプションに参加した台北国賓大飯店国際ホールで撮った家内の写真。隣に立つ松下道子は曾て皇居新年の会で皇后様からお言葉を頂いたことがあったとか。

 午前10時ころから今か今かと電話が鳴るのを待ち、11時近くにようやく張文芳氏から台北をバスで出発したと知らせが入る。正装して羅東バスターミナルへ行くと、間もなく氏が到着。日本の友人吉田と徳光二方の同行である。徳光は台湾の婿だとか。バスを乗り換え、更に1時間かけて南方澳へ着いた。海の守護神馬祖廟の3階へ上がり、金媽祖を拝し振り返って窓外を見れば、あいにく海は建築物に遮られて見えない。これでは駄目だ。仕方なく下へ降りてタクシーを呼び山の上にある小学校へ急いだ。時間はもうギリギリだ。

 校長先生のご協力で、早速屋上の展望台へ上がる。眼下に広がる青い海原! 早速双眼鏡で水平線の一點与那国島を探したが、かすんでいて有るようで無いようで、でも有る事にした。学校から美術用の脚立を借りて、両陛下の御写真を奉掲した。やがて午後3時20分、両陛下の島御到着の時間に合わせて、私たち4人は直立遥拝、君が代を奉唱し、萬歳を三唱した。胸中にこみ上げるものを感じつつ�ゥゥ�ぢ。

 思へば十七歳まで日本教育を受けたが、太平洋戦争で軍事訓練・学徒出陣からとうとう終戦。青春は正に戦争と動乱の最中でした。その後も苦難は続いて今に至るも台湾の運命はまだ定かではない。

 山道を下り、私たち以外にも今日同じくここ台湾から海の向こうを見つめているお方は何人いるだろうか、と考えながら帰途につく。こうして慌ただしい一日が終わった。>

 以上が李英茂さんのその日の日記ですが、李英茂さんは次のような歌を詠まれました。

  海はるか与那国島の一点のかしこきあたりわれ遥拝す

◆与那国島の位置

 与那国島と台湾との位置関係を表示しようとネットでいろいろ調べていましたら、手ごろな地図が目につきましたので、引用させていただきました。正確な地図かどうかわかりませんが、位置、距離感覚が分かります。ある資料では与那国島から石垣島まで127キロ、台湾まで110キロと書かれています。

 実は与那国島、台湾の位置関係を調べているとき、たまたま新聞に「6人の小さな船乗りが黒潮に挑戦し、帆船で石垣島へ向かう」という記事が出ていました(2018.05.02自由時報)。女の子1人を含む6人の小学生が、艇長60呎(約18メートル)の大型ヨット「光脚號」を操船し、宜蘭県の蘇澳港から250キロ先の石垣島に、23時間かけていくということです。

 次頁の地図を見ますと、左側の台湾と右側の石垣島の中間に与那国島があります。与那国島の周りの海流は強い黒潮で、新聞の記事のタイトルは「帆を揚げ勇躍黒潮を渡り、小さな船乗りたちは追い風に乗り波をけって進む」とあり、小さな子供達の大冒険を讃えています。とはいえ、石垣島まで250キロ、子供達がヨットで行ける距離です。与那国島はその距離の半分、110キロの近くにあるのです。そのくらい与那国島と台湾は近いということです。

◆李英茂さん達はその時

 「眼と鼻の先」に天皇皇后両陛下がおいでになるということで、李英茂さん達は宜蘭県の南方澳漁港目指してこられたということですが、李英茂さんは宜蘭の方ですが、それでもお住まいの近くからさらにバスで1時間かけられました。他の3人の方は台北からということですから、台北から羅東までは1.5時間はかかりそうですから、矢張り大変な時間をかけたことになります。

 しかも正装して、与那国島に最も近い場所に行かれ、両陛下が西方に眼を向けて下さっているであろうその時刻に、直立遥拝、君が代を奉唱、萬歳三唱されたというのですから、日本人にとりまして誠に有り難く、嬉しいことでした。

 李英茂さんが詠まれた短歌の「かしこきあたり」という言葉は慣用句で、「恐れ多い場所。宮中・皇室などを婉曲に言う」(デジタル大辞泉)という意味ですが、このような慣用句をさらりとお使いになる台湾の方には脱帽です。

◆おわりに

 昨年4月の歌会で「天皇皇后両陛下沖縄県行幸啓」のご報告をお聞きし、このような台湾の方がおられるということを日本の皆様にお伝えしようと考えていた矢先、5月11日の新聞にとんでもない記事が載りました。「台湾の領土主権は日本天皇に属し云々」と主張し、「台湾民政府」を名乗る集団の幹部たちが詐欺集団として告発されたという記事です。

 天皇陛下の名をかたり、詐欺行為を働く輩がいる一方、近隣の地に行幸啓される天皇皇后両陛下を遥拝しようという、しかも正装で君が代を歌い、万歳三唱してくださる方もおられるという。このことを日本の方々に知っていただきたいとの思いで、『台湾通信』を書かせていただきました。

◆追記

 原稿を書き上げた後、思いもよらない噂が耳に入って参りました。日本人である私にとりましては、素晴らしいお話ですが、台湾の人々の中には、このお話を良しとしない方がおられるということを知りました。台湾人のくせになんで日本の天皇に対して�ゥゥ�ぢということのようです。この『台湾通信』に登場された方々にご迷惑が及んではいけないと考え、実名を伏せて書きなおしました。

 しかし、天皇皇后両陛下行幸啓を遥拝された台湾の方がおられたということは素晴らしいことで、日本人にお伝えすることは決して悪いことではないとのご意見もあり、矢張り実名で書かせていただきました。

               ◇     ◇     ◇

 今上陛下の学習院初等科のクラスメートには、台湾出身の方がおられる。2016年3月に東京都内で開かれたクラス会で、陛下はその同級生に「台湾の人たちは、日本をどう思っているのか」としきりに尋ねられていたという。

 東日本大震災の翌年(2012年)4月に開かれた陛下ご主催の園遊会に、初めて台湾代表を招かれ、陛下から直々に「台湾ありがとう」とお言葉をかけられたこともある。

 皇室と台湾のゆかりは深い。日清戦争で日本に割譲された台湾に、近衛師団長として赴かれるもマラリアに冒され、10月28日に台南で薨去された北白川宮能久親王(きたしらかわのみや よしひさしんのう)をはじめ、1908年10月、台中公園で行われた「台湾縦貫鉄道全線開通記念式典」には閑院宮載仁親王(かんいんのみや ことひとしんのう)が臨席されている。大正12年(1923年)4月には、摂政宮として12日間も台湾を訪問されたのは陛下のご尊父で、後に昭和天皇に即かれる皇太子殿下の裕仁親王殿下だった。その他にも、秩父宮や高松宮など多くの皇族方が台湾を訪問されている。

 昨年3月、宮内庁は3月27日〜29日の日程で陛下が皇后陛下を伴われて沖縄県を訪問し、与那国島(よなぐじじま)にも初めて赴かれると発表した際、「両陛下が与那国島を訪れるのは、長年続けてきた離島訪問の一環で、台湾が望めることとは関係ない」と報じたが、同時に、宮内庁幹部の「一目見ることができれば喜ばれることだろう」という発言も付け加えて報じた。

 日本に住む台湾出身の人々は「おそらく陛下は台湾を訪問されたいのだろうが、せめて一番近い与那国島から台湾を望まれようとしているのではないか」としきりに話していた。

 傳田氏が伝えた「台湾歌壇」の李英茂さんや「友愛会」代表の張文芳さんも、同じ思いから、与那国島を望む南方澳まで駆けつけ、「午後3時20分、両陛下の島御到着の時間に合わせて、私たち4人は直立遥拝、君が代を奉唱し、萬歳を三唱した」のだろう。

 台湾には今上陛下の行幸を望む声がいまも根強い。編集子の知り合いで、戦後生まれの台湾の方は「譲位されたらどこでも自由に訪問できるのだから、ぜひ台湾を訪問し、お父上の足跡をお訪ねいただきたい」と熱く語っている。

(メルマガ編集部)

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。