【読者の声】台湾の地質研究者(4) 安東昌三郎 [地質学研究者 長田 敏明]

地学史研究者の長田敏明氏からの第4弾として、台湾で出鉱坑油田や錦水油田の開発に
携わった安東昌三郎について投稿していただきましたのでご紹介します。
 なお、掲載に当りましては、字句の訂正や句読点の付け直しなど少し編集させていた
だいたことをお断わりします。                     (編集部)


戦前の台湾の地質学研究史−地質研究者伝(4) 安東昌三郎(1897-1942)

                           地質学研究者 長田 敏明

 安東昌三郎については,「日本地質学会60周年記念誌」の田代修一(1953)の記載に
したがって記載する。

 安東昌三郎は明治30(1897)年に生まれ、大正8(1919)年に東京帝国大学理学部地
質学科を卒業し、同年4月に矢野鉱業株式会社に入社したが、大正9(1920)年には宝
田石油会社(後に日本石油株式会社に合併される)に転出した。

 日本石油株式会社では、秋田油田や台湾油田の調査開発にあたった。特に台湾におけ
る出鉱坑油田や錦水油田の開発は、安東の努力によるところが多かった。

 昭和11(1936)年に日石を退社したが、昭和13(1938)年に満州工業開発に入社。満
州工業開発では、阜新炭田の総合調査の主任として地質調査を実行した。昭和15(1940)
年には、満州工業開発株式会社の中に鉱産資源調査所が設立されるとそこの次長に就任
した。しかし、昭和17(1942)年に満州ボーリング株式会社の改組に伴って専務取締役
になったものの、病気のため退かざるを得なくなった。

 会社退職後は闘病に専念したが、闘病の甲斐なく昭和17(1942)年10月2日に逝去し
た。享年は45歳であった。


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