【読者の声】台湾の地質研究者(3)宇佐美衛 [地質学研究者 長田 敏明]

地学史研究者の長田敏明氏からの第3弾として、台湾で油田調査に携わっていた宇佐美
衛について投稿していただきましたのでご紹介します。

 なお、掲載に当りましては、元号を先に記して西暦を括弧でくくり、字句の訂正や句
読点の付け直しなど少し編集させていただいたことをお断わりします。   (編集部)


戦前の台湾の地質学研究史−地質研究者伝(3) 宇佐美衛(1914-1951)

                            地質学研究者 長田 敏明

 この項については、高井冬二(昭和28年:1953年)「宇佐美衛君」(日本地質学会60
周年記念誌、60頁)によって記載する。

 宇佐美衛は大正3年(1914年)に生まれ、昭和7年(1932年)4月に東京大学理学部地質
学教室に入学、同大学を昭和10年(1935年)3月に卒業している。

 卒業後、直ちに台湾総督府に職を奉じ、同年9月7日には台湾総督府技手に任じられ、
同14年(1939年)2月28日には台湾総督府技師に任ぜられている。同18年(1943年)には
陸軍技師に任ぜられた。

 宇佐美の主たる研究は、台湾における油田の調査であったが、大濁水渓上流地域の資
源調査では、病魔をものともせず金鉱脈を発見した。この間、選ばれて中華民国に出張
し、大きな業績を残した。陸軍技師としては、同21年(1946年)5月21日に台湾総督府技
師として復帰するまでに、スマトラ・ボルネオ方面の油田調査に従事した。同年6月9日
に官制の廃止により退官するが、熱帯奥地の調査や敗戦後のレンバン島の抑留生活など
で健康を害し、帰国後、静養を余儀なくされた。

 同22年(1947年)7月31日に林業試験場造林部地質学研究室に奉職し、翌年6月23日に
は農林技官となった。林試での宇佐美の業績は、国有林の森林土壌調査における地質部
門を担当し、国有林の保全に大いなる力を発揮した。その他、防災部門を担当し、米代
川水害についての調査報告、群馬県八幡村の地滑り調査報告、カスリン台風による赤城
山の森林の被害についての調査報告など、この方面の業績も枚挙に暇がない。

 しかし、再び病を得て同26年(1951年)5月13日に死去された。


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