日台湾大使に相当)や亜東関係協会会長などを歴任した、日本でもなじみの深い羅福全氏を取り上
げてきた。今日が最終回。聞き手は、金谷(かなたに)かおり記者。
連載第1回の冒頭に記すように、羅福全氏は本年3月、自叙伝『台湾と日本のはざまを生きて─世
界人、羅福全の回想』(藤原書店、陳柔縉編著、小金丸貴志訳)を出版している。
本書は、台湾のコラムニストの陳柔縉氏による『榮町少年走天下─羅福全回憶録』(遠見天下出
版社、2013年)の日本語訳で、本会会長に就任する直前の渡辺利夫氏(拓殖大学前総長)が序文
「『棄(すつ)るは取るの法なり』の人生を生きた台湾人」を書いていて、羅福全氏を下記のよう
に紹介する。
<羅福全の人生は、一面では、台湾の運命によって余儀なくされた不可避のものであった。しか
し、他面では、国民党のブラックリストに載せられて安住の地を放棄させられ、母上逝去の報せを
受けても帰郷できないという、普通の人間であれば呪うべき己の人生を、まるで逆手に取るように
自在に操り、ついには世界に知のネットワークを張ることに成功した希有の人物である。>
最終回の今回、毎年、日本、アメリカ、台湾からパネリストを招いて安全保障に関する国際シン
ポジウムを開催していることに触れている。写真は、2011年に基調講演した安倍晋三氏、来賓の菅
義偉氏や蔡英文氏とともに写っているものを掲載している。
本年10月8日に開かれるシンポジウムには、日本から渡辺利夫・本会会長、アメリカからジェー
ムス・E・アワー氏らを招き、蔡英文総統や蘇嘉全・立法院長などが来賓として臨席する予定だ。
◆2016年「南海爭議與亞太區域和平」國際研討會
http://www.wufi.org.tw/2016%e5%b9%b4%e3%80%8c%e5%8d%97%e6%b5%b7%e7%88%ad%e8%ad%b0%e8%88%87%e4%ba%9e%e5%a4%aa%e5%8d%80%e5%9f%9f%e5%ae%89%e5%85%a8%e3%80%8d%e5%9c%8b%e9%9a%9b%e7%a0%94%e8%a8%8e%e6%9c%83/
官房長官を叱った椎名さん 羅 福全(元台北駐日経済文化代表処代表)
【産経新聞:2016年9月17日「話の肖像画(5)」】
http://www.sankei.com/world/news/160917/wor1609170003-n1.html
写真:2011年、台湾安保協会が台北で開催した国際シンポジウムには、安倍晋三衆院議員(当時、
右から2人目)、蔡英文民進党主席(同、中央)らが出席した(本人は左から2人目、本人提
供)
〈2000(平成12)〜04年、台北駐日経済文化代表処代表を務め、日本の政治家とも交流を深めた〉
台湾と日本は、台湾の中国国民党政権下で日本の自民党と何十年という深い関係がありましたの
で、初めて民主進歩党(民進党)政権になり、どう自民党と接するかを考えました。まず、会いに
行ったのは日華議員懇談会の山中貞則会長(当時)です。山中会長は最初、「陳水扁なんて知らな
いよ」と言いましたが、私の日本語には驚いていました。国民党時代の駐日代表は私のようには日
本語を話しませんから。私は日本のこともよく知っていましたし、台湾のことも日本語で説明でき
るので、信頼を深めていきました。
当時の森喜朗首相のところへも面会に行きます。私の不安に反して森首相は、台湾の与党が民進
党になったならば自民党は民進党と付き合うと言ってくれたので、私は安心して“対日外交”に取
りかかることができました。私は多くの日本の政治家とお付き合いしましたが、やはり、日本語を
話すことに親近感を持ってくれた面もあると思います。日本語ができることの何がいいかという
と、建前と本音を話せること。例えば尖閣問題でまず本音を交わし、その後に建前でどうやりま
しょう、とできるのです。
ゴルフ政治も学びました。国会で誰かに会っても15分で終わってしまうから本音が話せません。
ところがゴルフでは先に質問して、向こうもプレーしながら考えて、2ホール後に答えが出てきま
す。
台湾と日本は国交がありませんから、正直当時、外務省は中国を気にして課長さえ会ってくれま
せん。政治家とは本音で付き合うけれど、外務省は建前を守りますからね。
〈01年、台湾の李登輝元総統の訪日が実現した〉
私は当時の福田康夫官房長官と、椎名素夫参院議員との密談に参加しました。椎名さんのお父さ
んは日台断交前、特使として台湾に行き、蒋経国行政院長(首相に相当)と会談した人です。椎名
さんは台湾に対する思いが強く、李氏の訪日に消極的だった福田さんを叱責していました。当時の
河野洋平外相は反対で、森首相もいろいろと考えていました。私はアメリカの例を調べ、アメリカ
では大統領を辞めて6カ月過ぎたら私人とみなされるとして、李氏も一般市民としての訪日である
と申し上げました。李氏の訪日がかなったのは、代表時代の大きな仕事でした。
〈駐日代表を終えてからは、夫婦で台湾に定住し、民間外交を続ける〉
台湾と中国の関係に対してアメリカや日本の立場はどのようなものかを台湾の人に伝えるため、
民間団体の「台湾安保協会」で年1回、国際会議を開いています。台湾と中国の関係は1対1ではな
く、アジア全体の平和、安全保障の一環になっていますから。小さな会ですが、私たちができるこ
とはどこにあるのかに焦点を絞ってやっています。
朝はオフィスに着くと欠かさず、台湾、中国、日本、アメリカ、ヨーロッパの新聞に目を通しま
す。例えば南シナ海の記事で、日本の言い分はこうか、フィリピンの言い分はそうか、と。
今は、食後に居眠りするのが一番幸福な時間(笑)。そして何が幸せかというと、台湾も民主化
を実現したことです。世界ではわずか14%の人しか民主国家に暮らしていません。大きな世界の中
で、私は幸福な社会にいるわけです。
(聞き手 金谷かおり)
=次回は元PL学園野球部監督の中村順司さん
◇
【プロフィル】羅福全(ら・ふくぜん)
1935(昭和10)年、台湾・嘉義市生まれ。41年に日本へ行き、終戦を迎える。46年に台湾へ戻り、
58年に台湾大学を卒業。60年に早稲田大学に留学し、修士号取得。63年に米国ペンシルベニア大学
へ留学し、地域科学博士取得。73年から国際連合職員となり、国連地域開発センターや国連大学な
どで勤務。2000年、台北駐日経済文化代表処代表。04年、台湾の対日窓口機関、亜東関係協会会
長。現在は民間団体、台湾安保協会名誉理事長。