「鹿港小鎮(小さな町 鹿港)」観光都市に塗り替えた [長谷川 周人]

【7月28日 産経新聞「音楽の政治学」】

 台湾中部の彰化県鹿港(ルーガン)。清朝時代、首府・台南に次ぐ台湾第2の商業港
として栄え、福建省からの貿易船が行き交う台湾の「海の玄関」として知られた。だが、
日本統治時代に建設された南北を結ぶ縦貫鉄道のルートからはずれ、発展の波に乗り遅
れていわば「陸の孤島」に変わり果てた。

 その鹿港に近年、観光客が押し寄せている。街並みには交易で活気づいた往年の面影
が残り、れんが通りを人力車で走り抜ければ17世紀にタイムスリップしたかのよう。週
末ともなれば、古き良き時代を体感しようというカップルや家族連れで大にぎわいだ。

 もう一つの目玉は300年近い歴史をもつ媽祖廟、天后宮に祭られた媽祖像だ。媽祖は
福建、広東など中国沿岸部で広く信仰される航海や漁業の守り神である。信仰は台湾に
も深く浸透している。像は清代に福建省から渡来し、その分霊が各地に広がったと伝え
られ、鹿港は大陸交流のルーツともいえる存在なのだ。

 鹿港が観光地として息を吹き返すきっかけの一つが、社会運動に携わる台湾人アーテ
ィストの羅大佑さんが1980年代に発表した「鹿港小鎮(小さな町 鹿港)」だ。

 ♪台北は僕の家じゃない 僕の故郷にはネオンがない 鹿港の朝 鹿港の黄昏 文明
社会で彷徨(さまよ)う人々よ

 故蒋経国元総統が70年代に始めたインフラ整備計画「十大建設」が進み、経済が急成
長しつつあった当時、羅さんの歌は物質的な繁栄だけでなく、心の豊かさを求め、人々
に台湾への帰属意識を芽生えさせる走りとなった。独立を党是とする民主進歩党の結党
もちょうどこのころだ。

 歌は国民党独裁政権下で「禁歌」となるが、封印は民主化の流れの中で解かれて再流
行する。鹿港を一大観光都市に塗り替えたというわけだ。

 思わぬ余波もある。中国で羅さんの活動が許可されると、両岸交流のルーツを歌う「鹿
港小鎮」が知れ渡った。北京や上海でなどでは「鹿港小鎮」という名の台湾料理店が相
次ぎ出店された。今月から中国人の台湾観光が解禁され、地元は鹿港人気に乗じて観光
客を誘致しようと熱が入る。

 しかし、反骨精神が旺盛で、独立志向が強い中南部の人々の思いは複雑なようだ。鹿
港で海鮮料理店を開く林雪梨さんはいう。

 「中国人観光客への期待? 歓迎するなら日本人よ。(中国人の流入で)治安が悪化
するのは困るもの」                (鹿港 長谷川周人、写真も)



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