2年前にご遺族から愛媛県西条市に寄贈された松木の胸像や台湾で撮影された写真など遺品の一部が同市周布の市立東予郷土館で展示されているそうだ。産経新聞が報じているので下記に紹介したい。
松木幹一郎の事績については、『台湾を愛した日本人─八田與一の生涯』を1989年に著した古川勝三氏が「nippon.comコラム」の「台湾を変えた日本人シリーズ」の中で取り上げていて、本誌2018年2月5日号で紹介している。併せて下記に紹介したい。
◆台湾全島に電気をともした日本人――松木幹一郎 古川 勝三(台湾研究家) http://melma.com/backnumber_100557_6642420/
◆西条市立東予郷土館 〒799-1371愛媛県西条市周布427 電話:0898-65-4797 FAX:0898-65-5815 E-mail toyokyodokantoshokan@saijo-city.jp HP:https://www.city.saijo.ehime.jp/soshiki/syakaikyoiku/kyodo-index.html
————————————————————————————-日本にも胸像 「台湾電力の父」松木幹一郎を改めて評価 愛媛で遺品展示【産経新聞:2018年10月21日
「台湾電力の父」と呼ばれる愛媛県西条市出身の松木幹一郎(1872〜1939年)の遺品155点が家族から西条市に寄贈され、同市周布の市立東予郷土館に一部が展示されている。台湾近代史に詳しい「愛媛台湾交流会」(松山市)の古川勝三会長(74)は昭和15年に作られた松木の胸像や、台湾で撮影された写真などを確認し、「驚くほど貴重な資料。今後の日本・台湾交流に活用しない手はない」と改めて評価した。
明治5(1872)年、現在の西条市河原津に生まれた松木は東京大学卒業後、逓信(ていしん)省に入省。山下汽船会社理事、東京市政調査会初代専務理事、帝都復興院副総裁などを歴任し、台湾電力社長に就任した。
当時、東洋一を誇ったダム湖「日月潭(じつげつたん)」だが、ダムと発電所の建設は大正15年に資金不足のため中止された経緯がある。松木の社長就任で再開したものの、建設費は当時の国家予算の約3割に相当した。松木は外債獲得に奔走し、「日月潭第一発電所」を昭和11年に、日月潭第二発電所を翌12年に開設した。
これにより、台湾全土に電柱が立ち「人のいるところはことごとく電灯がともった」といわれるほど急激に電化が進んだ。第一発電所は、今でも台湾の水力発電の56%を担っているという。
松木は社長在任中の昭和14年に死没した。偉業をたたえ発電所の取水口に翌15年、台湾電力社員有志の寄付で松木の胸像が建立された。しかし、戦時下の金属不足から同19年に供出され、台座だけになった。平成22年に同発電所を運営する電力会社の社員や台湾財界人の寄付により、2代目の胸像がその台座の上に建立された。
松木の遺品は28年、東京に住む松木の三女、景山郁子さんと、孫、誠一郎さんが西条市に寄贈し、東予郷土館に保管された。
数々の遺品の中に、台湾に建立されたものとは別の胸像がある。台座には昭和15年と刻まれ、やはり台湾電力有志により製作された胸像と分かる。東京の松木家の庭に建っていたという。
同館を訪れた古川会長は、「松木は台湾では敬意をもって知られているが、祖国日本ではあまり知られていない」と話す。「まさに幻の胸像。(昭和15年に)2体鋳造され、1体は日月潭に、もう1体は松木の遺族に贈呈されていたことが分かった。台湾の研究者、関係者が知れば驚くほどのお宝です」と驚いていた。
また、「外積成立記念昭和九年六月廿五日臺湾電力株式會社社長松木幹一郎」の銘がある日月潭の銅製模型(縦約50センチ、横約1メートル)については、「東洋一の水力発電用ダムを建設するという国家プロジェクトに臨む関係者たちの意気込みが伝わる」と話した。