迎えたことから、同地で記念式典が開かれたという。中央通信社が伝えているので紹介したい。
この水力発電所は、日本統治時代の1920(大正8)年に台湾電力が創立されて以来の悲願とも言
える大事業だった。しかし、台湾電力発足直後から始まった工事は第一次大戦後の不況によって資
金調達がままならず打ち切りとなり、会社自体の存続も危ぶまれるなど紆余曲折を経た。
しかし、1929(昭和4)年12月、愛媛県出身の松木幹一郎(まつき・かんいちろう)が社長に就
任して翌年に工事が再開、4年後の1934年6月に竣工、水路の通水試験や発電機の試運転などを経
て、7月末から台湾全土へ配電されている。
「奇跡の工事」と言われ、松木は「台湾電力の父」とその功績を讃えられるも1939(昭和14)年
6月に逝去、翌年10月に日月譚の畔に銅像が建立された。しかし、戦時中の金属供出により失われ
てしまう。台座だけが空しく残っていた。
ところが2010(平成22)年3月、この松木の事績を知った台湾の人々は、奇美実業創設者の許文
龍氏の寄付を得て胸像を新たに造り、この台座の上に設置したのだった。
この胸像は発電所の敷地にあるため管理所の許可を得ないと入れないが、日月譚を訪れたときに
は、ぜひここにも足を延ばして欲しい。胸像となった松木の見つめる先に広がる日月譚をぜひ見て
いただきたい。
◆松木幹一郎 – 台灣電力社長胸像除幕式
http://blog.twimi.net/2010/03/blog-post_08.html
日本統治時代に建設の発電所、運用80周年で記念式典/台湾
【中央通信社:2014年7月29日】
(台北 29日 中央社)中部・南投県にある台湾電力大観発電所が今年で営業運転開始80周年を迎
え、29日に同県出身の呉敦義副総統らが参加した記念式典が行われた。
大観発電所は近隣の日月潭の水を利用して発電する水力発電所で、日本統治時代の1918(大正
7)年に完成、1934(昭和9)年に「日月潭第一発電所」として営業運転を開始した。5基の発電機
が生み出す10万キロワットの出力は、当時アジア最大を誇り、台湾で必要とされていた電力の約
70%をまかなったという。戦後の1985年には大観二廠(第二発電所)が運用を始めている。
呉副総統は、幼い頃から大観発電所の電力で育ち、自身が南投県長を務めていた時期に第二発電
所が完成したと話し、台湾電力の黄重球董事長(会長)は、1999年の台湾大地震で被災した際、多
くの作業員が早期の復旧に向けて取り組んだことなどを振り返った。
80年間で328億キロワット時の電力を発電したとされる大観発電所の謝鵬洲所長は、近代的な機
械がなく、交通が不便だった時代に、過酷な環境を乗り越えて建設された施設を「奇跡的な工事
だった」とした上で、一般市民の生活だけでなく商工業の発展においても大きな役割を果たしたと
長年の活躍を称えた。
(蕭博陽/編集:齊藤啓介)