ところ、「日本人より遥かに日本人らしい台湾の人々、涙が出ます」「台湾の方々の靖國
神社に寄せる思いが日本人と変わらないことに驚きました」「当時は台湾の人々も日本人
だったことをつい忘れがちですが、それをまざまざと思い出させてくれる短歌の数々。今
後も紹介してください」など、いろいろなお便りをいただいた。
ブログ「台湾魂と日本精神」の新高百合さんからも「掲載していただきありがとうござ
いました」と、わざわざ御礼の電話をいただき恐縮した。
歌の力というのだろうか、「台湾歌壇」の人々が詠んだ8月15日の107首の歌からは、凝
縮された言葉ゆえにあざやかにその場面が浮かび上がってくる。
現在、「台湾歌壇」代表の蔡焜燦(さい・こんさん)氏は、台湾の人々が短歌を詠むこ
とについて、次のように述べられている。
≪大正二桁、昭和一桁生れの台湾人は、生まれながらの日本人で、国語で物を書き、国語
で思索し、果ては寝言までが国語だつた、所謂「日本語族」である。その人々が日本の短
詩型文化にとりつかれて会を作り、和歌を楽しむことは常態である。また歴史的仮名遣ひ
を用ひ、日本語の文語で和歌を詠むといふことは極く自然なことであらう。≫
「台湾歌壇」は1967年(昭和42年)、医師の孤蓬万里(こほう・ばんり)こと呉建堂(ご・
けんどう)氏が有志11人と始めた「台北歌壇」が出発点だった。当時の台湾は戒厳令下に
あり、表で日本語を使うことはできず、「台湾」という言葉さえタブーとされていた時代
だった。
呉建堂氏は後に『台湾万葉集』を著して菊池寛賞を受賞し(1996年)、宮中歌会始にも
招かれ陪聴の栄に浴している(1996年)。その呉氏に下記の歌がある。それが「台北歌
壇」を始めた当時の状況であり心境だった(「台湾歌壇」ホームページ参照)。
日本語のすでに滅びし国に住み短歌(うた)詠み継げる人や幾人
万葉の流れこの地に留めむと生命(いのち)のかぎり短歌(うた)詠みゆかむ
現在、台北歌会と南部歌会があり、同人は100人ほどにもなっているという。毎月第4日
曜日に月例歌会(かかい)を開いており、6月は45人、7月は41人が集まり、20代や30代の
方も参加する傾向にあり、平均年齢は若くなっているそうだ。
その「台湾歌壇」から本会に『台湾歌壇』の第15集(呉建堂創刊第152集、2011年7月刊)
が届いている。特集は「東日本大震災に寄せて」で、89首を掲載している。また同人59人
のこの一年間に発表した歌や最近の詠草などがそれぞれ12首ずつ掲載され、月例歌会で発
表した短歌なども掲載され、盛りだくさんの内容だ。最後には歌会の写真など14枚も収録
されている。
蔡焜燦代表は「巻頭の言」で、東日本大震災について「私たちは日本の国体と精神の復
興を堅く信じております」と述べられている。このような烈々たる祈りというか、心から
の応援の言葉を世界の誰がかけてくれただろうか。下記にご紹介したい。
なお、この第15集を本誌読者にもお頒ちするかどうかにつきましては、関係各位に寄贈
してからとなりますので、もうしばらくお待ちください。
◆台湾歌壇
台湾・新北市新店区竹林路2巷32號1楼
FAX:(台湾)02-2217-9050
ホームページ:http://www.taiwankadan.org/
台湾歌壇(第十五集) 巻頭の言
代表 蔡 焜燦
台湾歌壇第十五集が完成致しました。本第十五集は、この暑さにも負けず齢後期(=高
貴)高齢者と謂われる編集委員の諸同人が校正に編輯に携わっていただき、改めて心から
ご苦労様でしたと申し上げさせていただきます。
去る三月十一日に我が友邦国日本に東日本大震災とそれに伴う大津波があり、東日本の
皆様は大きな災害を蒙られました。他人事ではない災害に関心を寄せて短歌を詠まれた同
人の詠草が、日本の国民新聞、産経新聞の「サンケイエクスプレス」。台湾協会報、月刊
「正論」、読売等々に掲載されました。それを読んだ多数の日本の友人から歌壇に或いは
同人諸氏に感謝のお言葉をいただいております。私達が友邦日本の現状を憂う心が短歌を
通じて日本の友人達に伝わっていると言う事を非常に嬉しく思っております。
この十五集では、大震災で亡くなられた方々の御霊の安らかであるようお祈りし、また
被災なさった方々が一日も早く安心してお暮らしになられますようお祈りし、日本の一日
も早い復興をお祈りして、台湾歌壇有志一同の短歌八十九首を巻頭に掲載いたしました。
私たちは日本の国体と精神の復興を堅く信じております。
向暑の砌、諸同人の御自愛をお祈り申し上げます。