先日、渋谷で台湾映画『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』を見た。日本統治下から国民党統治下にかけての時代が台湾人文学青年の視点で、前衛的な手法で描かれたこの作品は一見に値する。
しかし、残念な点もあった。アフレコという技法を採用したため、日本人、台湾人を含む声優が参加していた。彼らは、日本統治時代の日本語の台詞の中で、「台北」のことを「タイペイ」と呼んでいた。日本統治時代は「たいほく」と呼んでいたのだ。「タイペイ」というのは、「台北」を中国語で呼んだものであり、戦後、国民党軍が台湾を接収してからの呼称である。
「台北」は、台湾語では「タイパク」と読む。客家語では「トイペッ」。台湾の原住民の言葉では日本語の「たいほく」に由来する呼び方が用いられている。NHKでは、「たいほく」と呼んでいる。
日曜日、新宿で蔡焜燦(さい・こんさん)先生を偲ぶ会が行われ、文化人が集った。蔡焜燦先生は台湾独立運動の力強い支援者でもあったが、蔡先生の思い出を語る人々のなかにも「台北」を「タイペイ」と呼ぶ人が少なくなかった。
月曜日(体育の日)、文京区で“2020東京五輪「台湾」正名集会”があった。中国の政治的な圧力で押し付けられた「チャイニーズ・タイペイ」という呼称を「台湾」に正すべきだという運動である。日本人と台湾人、老若男女が力を合わせ、街頭活動を行っており、台湾人を感動させるばかりでなく、中国共産党に恐れられている素晴らしい活動である。
しかし、台湾からのメッセージを代読したスタッフが、「台北」を「タイペイ」と読み上げた。台湾は中国ではないと主張しているのに、どうして台湾の地名をあえて中国語で読むのだろうか。
世界で見れば表音文字が普通な中で、漢字は表意文字としての側面を持つ。本来、漢字文化圏では、漢字の読み方は、中国の規範を意識しつつも、それぞれの社会にゆだねられていた。台湾は多民族多言語国家であり、「台北」という表記の読み方はさまざまである。
「台北」は「台東区(たいとうく)」の「台」と「北陸(ほくりく)」の「北」から成るのだから「たいほく」と読むのが日本語の漢字音として妥当な範囲である。
それをあえて「タイペイ」と読むのはなぜか。分からなくはない。普通の読み方である「たいほく」ではなく、日本語からだけでは推測できない「タイペイ」という読み方を使うことで、「自分は台湾のことを他の人よりも知っている」という差別化ができ、優越感が感じられるのであろう。
「高雄(たかお)」を「カオション」などと中国語で読むのも同様である。かつて「打狗」と表記されていたものを日本統治時代に「高雄」と表記を変えたものである。さらにいえば、そもそも漢字で付けた地名ではない。ちなみに、1865年にこの地に建てられたという英国領事館は現在も参観できるが、その英文の名称は「The British Consulate at Takow」である。つまりこの地を「Takow」と表記している。台湾語で読めば「打狗」はターカウ、「高雄」はコーヒョンである。
数ある読み方の中から、戦後の植民者である中国人の「国語」の発音を選ぶということは、その「植民」を肯定することではないのか。おそらくそこまで考えてそう読んだのではないのだろうとは思うが、今一度、検討してほしいものである。
私たち日本と台湾の関係は、中国語を介さなければならないほど遠いものなのだろうか。