李登輝氏に旧制高校生の矜持  喜多 由浩(産経新聞編集委員)

李登輝氏に旧制高校生の矜持  喜多 由浩(産経新聞編集委員)

【産経新聞「台湾日本人物語 統治時代の真実(15)」:2020年10月14日】https://special.sankei.com/a/international/article/20201014/0002.html

 ハプニングが起きたのは講演会後の懇親会の場だった。平成19年6月7日、東京都内のホテル宴会場。旧制台北高校OBでつくる蕉葉会(しょうようかい)のメンバーらが壇上に上がり、寮歌祭さながらに、同校の第一校歌『獅子頭山(ししとうざん)に雲みだれ』を歌い始めたのである。

 主賓の李登輝もOBたちによって壇上に引き上げられた。写真が残っている。バショウの三つ葉をかたどった校章入りの白線帽をかぶった李は他のメンバーよりも頭ひとつ高い。歌詞を書いた紙を手に、高らかに校歌を熱唱した。「(台北高校の)同級生同士、すぐ昔に戻れるんだよ」

 2000(平成12)年に台湾の総統を退任後、李は平成13年、16年と2度来日したが、中国に“忖度(そんたく)する”日本政府によって、いくつかの「制限」が課せられていた。記者会見や講演をしない、政治家とは会わない。そして、首都である東京には入らない…。

 このときの来日は、それらタブーの多くを破ることとなった。

 李は、2012年に台北で行われた台北高校創立90周年式典のスピーチで、この第一校歌の4番の歌詞《ああ純真の意気を負ふ 青春の日は暮れやすく…》を引用している。そして、出席した日台のOBらに向けて「われらの古き関係を新たにしつつ、日台の心と心の絆(きずな)を築いていきましょう」と呼びかけた。

◆同世代の司馬氏と

 作家の司馬遼太郎は、『台湾紀行 街道をゆく』で李を“旧制高校生”になぞらえた。2人は同じ1923(大正12)年生まれだ。旧制高校生に対するイメージにも共通する意識があったのだろう。

 同世代の1%以下という、将来、国家を背負って立つエリート。「自由と自治」を掲げた寮生活。弊衣破帽(へいいはぼう)のバンカラスタイル。哲学、文学、歴史といったリベラル・アーツ(教養教育)にどっぷりと漬かり、人格を養う…。

 李が進んだ台北高校は外地に初めてつくられた旧制高校だった(後に関東州の旅順高校も創設)。昭和16年、淡水中学(旧制)から、台北高校文科甲類(英語が第一外国語)に合格。同年6月3日付官報には、台北高校入学者として「李登輝」の名が出ている。

 台湾総督府文教局発行の『台湾の学校教育 昭和16年度版』によれば、同年度の同校文科の志願者数は、内地(日本)人332人▽本島(台湾)人68人。これに対する入学者は内地人47人▽本島人6人である。

 文科3学年全体の在校生数は内地人206人▽本島人27人と1割強でしかない。これが理科の場合、内地人161人▽本島人78人。これは、医学部進学を目指す本島人学生が多かったからである。

 同年度の台湾の中学校19校の在籍者数を見ると、内地人6069人▽本島人6001人、とほぼ拮抗(きっこう)しているから、台北高校への進学機会は経済的な問題も含めて「平等」とは言えず、本島人には大変な“狭き門”だったことが分かる。

 李はこの難関入試で、国文漢文で満点を取り、高校側を驚かせた。

◆自由と自治の気風

 産経新聞に連載中だった「旧制高校 寮歌物語」のインタビューで、私が台湾・淡水で李に会ったのは2012(平成24)年11月のことだった。総統退任後も多忙な日々を送っていた李がすぐに取材に応じてくれたのも、「台北高校の思い出」をテーマに挙げたからだろう。

 このとき89歳。「身も心も大きな人」という印象を持ったことを覚えている。長時間にわたって、台北高校時代のエピソードを、とても懐かしく、楽しげに話してくれた。

「新入生として寮に入った夜、いきなり先輩に叩(たた)き起こされ、ストーム(襲撃)の洗礼に遭ったんだよ。ただね、私は弊衣破帽はやらなかった。ゲタも履かないし、髪も伸ばさない。なぜかって? 母から『みっともないからやめてくれ』って頼まれたからね(苦笑)」

 時間があると、歴史、語学、哲学など古今東西の古典を貪(むさぼ)るように読んだ。カーライル、カント、西田幾多郎(きたろう)、鈴木大拙(だいせつ)、倉田百三…。新渡戸稲造の「武士道」からは非常に啓蒙(けいもう)されたという。「死への意識、人生はどうあるべきか…人間として基本的なことは高校時代に認識したと思う。内面と向き合って思索する大事な時間だった。その後の人生の糧(かて)となった」

 李は「22歳まで日本人だった」という。自ら経験した日本の教育や日本精神は高く評価している。インタビューの前年(2011年)に起きた東日本大震災で、混乱の中で秩序を守り、他人を思いやる気持ちを忘れなかったことに対して「世界中の人々が頭を下げました」と語った。

 台北高校で受けた教育は、自由と自治の気風にあふれ、教授陣も一流揃(ぞろ)いだった。「教科書なんかほったらかして、読むべき本を教えてくださった。厳しいけれど、愛情に満ちあふれていたね」

 そして、台湾と日本との関係。「統治者・被統治者として微妙な意識があった。でもクラスメートになれば超越してしまうんだ」

◆国家と国民のため

 最後はリーダー論になった。当時の日本は民主党(当時)政権の末期。安倍晋三前首相は2度目の登板を前にして野党・自民党の総裁になった直後だった。「今(当時)の日本にはリーダーがいない。安倍さんも古い自民党の体質に縛られていてはダメですよ」

 李は、「指導者に必要なことはたった2つのことしかないんだ。国家と、国民のために奮闘することだ」と力を込めた。

 いざとなれば国家と国民のために命をもなげうつ覚悟で闘いの先頭に立つ。これこそ旧制高校生の矜持(きょうじ)である。そして、現在の政治家や“偏差値エリート”には見られないものだ。

 台湾の総統をつとめた大政治家を語るのにこのコラムはふさわしくなかったかもしれない。ただ、どうしても李から聞いた台北高校のことを書いておきたかった。泉下の元総統にお許しを請いたい。=敬称略

                                    (編集委員 喜多由浩)=次回は28日掲載予定

*紙面に掲載された「台北高OBらと校歌を歌う李登輝氏」の写真のクレジットには「日本李登輝友の会 提供」とあります。

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