李登輝が望んだ「日台関係の深化」の真意  早川 友久(李登輝元総統秘書)

李登輝が望んだ「日台関係の深化」の真意  早川 友久(李登輝元総統秘書)

【nippon.com:2021年8月1日】https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01148/

*原題は「李登輝の死から1年:元秘書が伝え続けたい日本への想い」でしたが、本誌掲載にあたって「李登輝が 望んだ『日台関係の深化』の真意」と改題したことをお断りします。

 2020年7月30日の夜、李登輝がこの世を去った。あれから1年、信じられないほど、時間の流れは速かった。

 亡くなった直後は文字通り、忙殺される毎日だった。日本からお悔やみの手紙、弔電、メール、電話が山のように届く。リストを作成してご家族に報告し、御礼状を書いているだけで一日が終わってしまうような日も多かった。

 あいにく新型コロナウイルス禍によって日台の往来が難しい状態は今も変わっていないが、もしコロナがなかったらどれほどの日本人が弔問に駆けつけ、葬儀に出席しただろうかと思うと、空恐ろしささえ感じるほどだった。

 もはやいつ「Xデー」が来てもおかしくないような容態に陥ったとき、李登輝という人物の偉大さ、また特に日本における知名度や人気から考えると、逝去後の報道もきっと大きなものになるだろうとは予想していた。ただ、訃報が流れてからというもの、新聞やテレビはもとより、ネットメディアやSNS上での取り上げられ方、あるいは反響の大きさは私の想像をはるかに超えるものだった。

◆最期の瞬間まで

 実を言うと、李登輝の年齢も90代半ばに差し掛かり、体力の衰えもあって少しずつ公的な活動への出席が減ってくると、そろそろ李登輝の元を離れて次のステップへ進むべきだとアドバイスしてくれた人も少なからずいた。どなたも私の将来を考えての好意的な助言だった。

 李登輝自身でさえも冗談交じりか本気か、私に対して「あんたも縁あって私のところに来たんだから、日本へ帰って選挙に出ないか」と持ちかけてくることもあった。私は、そのたびに「もうしばらく総統のところで勉強したい」とごまかしたものだった(李登輝はいつも私を「あんた」と呼んでいた)。

 李登輝も青年時代に愛読した夏目漱石は『こころ』で乃木希典の殉死を書いたが、私もまた「みあと志たひて 我はゆくなり」の心境だった。最後の瞬間まで李登輝に仕えたいという気持ちはぶれることがなかった。

 漱石や鴎外が明治の終わりを書き、私自身も昭和天皇崩御という時代の節目を経験したことがあるものの、小学生では偉人の死が大衆の感情を乱すということは理解できなかった。李登輝のそばにいた私でさえも、激流のような「李登輝逝去」の報道の波にもまれることで、ようやくひとつの大きな時代という幕が下りたことを確かに実感したのだ。

◆森さんの温かさ

 8月9日には日本から森喜朗元首相を団長として超党派の弔問団が台北を訪れた。追悼会場となっていた台北賓館で弔問を終えると、森氏らが家族代表の次女夫妻にお悔やみを述べる席が設けられ、私も通訳を兼ねて同席した。2000年5月に総統を退任した李登輝と、同年4月に総理に就任した森氏だから、二人はそれぞれ前後する時期に国家の指導者を務めたことになる。

 森氏の体調は万全ではなさそうで声もかすれ気味だったが、その朴訥とした話し方からは、それがかえって李登輝に対する尊敬や親近感が伝わってくるようだった。最後に次女夫婦に向かって「奥様もきっと寂しいでしょうね。十分にいたわってあげてください」と話されたのが特に印象に残っている。政治家、というよりはひとりの人間としての温かさを感じる言葉だった。

◆李登輝が遺したもの

 台湾と日本はかけがえのないパートナーであり、その関係をさらに深めていくことが李登輝の想いであり、願いでもあった。李登輝がどれほどまでに日本に期待し、想いを寄せていたかを、日本人に伝え続けていくことが、私に課せられた仕事だと、自分自身でも感じている。ただ、その理念を受け継いでいくと大言壮語してはみても、やはり李登輝の遺したものの大きさを今でも感じずにはいられないのである。

 2021年3月には中国が突如、台湾パイナップルを禁輸にしたことで、日本で「台湾パイナップルを買って応援しよう」という声が巻き起こった。このとき複数の地方議員や企業の経営者から連絡を受け、「小中学校の給食用に大量購入したい」とか「経営しているスーパーで扱いたい」などといった問い合わせをもらった。

 大変有り難い申し出で、すぐに窓口を紹介したが、こちらからの御礼のメールの返事にはまるで示し合わせたかのように「李登輝総統への恩返しがしたいから」と書かれていた。

 李登輝は日本から来客があるたびに、熱を込めて日本人が持つ高い精神性や価値観、日本の文化などを世界に誇るべき素晴らしいものだと力説していた。

 戦後のいわゆる “自虐史観” が蔓延(まんえん)するなか、「私は22歳まで日本人」で「日本人が理想の日本人を作ろうとしてできたのが私」と公言する李登輝以外に、自信を失くした日本人を鼓舞するのにふさわしい人物は存在しないだろう。座右の銘でもある「誠実自然」の言葉どおり、偉ぶることなく誠実に自然体で訴えかける李登輝の思いに触発された日本人がいかに多いことか、私は改めて知ることになったのである。

◆日台関係の根底にあるもの

 また台湾では、5月中旬からコロナの感染拡大が始まり、ワクチン不足が露呈した。中国の妨害もあってワクチン確保が進んでいないことに台湾の人々も不安を覚えたが、そこに「恵みの雨」をもたらしたのが日本だった。

 6月4日にワクチンを載せた日航機が桃園国際空港に着陸する模様は、全てのニュースチャンネルが生中継していたし、飛行機の航路をリアルタイムで見ることができるサイトでは、2万人が日航機を見守っていたという。

 後に台湾紙でも日台のワクチン寄贈の舞台裏が報じられたが、キーパーソンとして名前が上がったのが、安倍晋三元首相であり、岸信夫防衛相だった。どちらも李登輝とは非常に親しくお付き合いいただいていた。

 安倍氏が現職の首相だった時期には表立った交流ができなかったが、毎年の誕生日には花やカードを贈り合い、夏休みに読むために準備した本に李登輝の著書が含まれていることが報じられたこともあった。岸氏もまた、訪台のたびに必ず李登輝を訪ねて下さり、お二人とも李登輝という政治家を尊敬し大切に思ってくれているのをひしひしと感じていた。在京の新聞記者からも、「李登輝総統に恩返しをしなくては」という思いから能動的に動かれていたと仄聞(そくぶん)する。

 ワクチン到着の夜、台北101ビルや有名ホテルはライトアップで日本への謝意を示し、ネット上には「謝謝日本」のメッセージが躍った。その光景はまさに日台関係がより深まった瞬間を目にしているかのようだったが、その根底には李登輝の存在があることを追々実感していくのである。

◆日本の覚悟が問われている

 残念ながら現在、日台の往来は簡単ではないが、李登輝亡きあとの日台関係を見ても、台湾における日本の存在感はますます大きくなっている。中国の台湾侵攻が国際社会の関心事となり、日米首脳会談などで「台湾海峡の平和と安定」がうたわれるようになった昨今、台湾の安全保障に対する日本の発言にも大きな注目が集まっている。

 麻生太郎副首相が「中国が台湾へ侵攻すれば、日本の『存立危機事態』に当たる可能性がある」と発言したり、中山泰秀防衛副大臣が「民主主義国家としてわれわれは台湾を守らなければならない」といった発言は、台湾でも大きく報じられた。

 これまで数年ごとに日本台湾交流協会が台湾の人々を対象に行ってきた世論調査では「好きな国」や「親しくすべき国」で共に1位となったのが日本だった。ただ、こうした調査結果に、実を言うと私は一抹の危惧を抱いていた。李登輝が望んだ日台関係の深化は、「日本が好き」だとか「仲良くしたい」というだけの「表層的」なものでは決してないはずだからだ。

 確かに、台湾の人々が日本に好感を持ち、親しみを感じてくれることは喜ばしいことだが、日本が台湾の人々にとって近くて楽しいだけの場所になるのは決して本意ではない。台湾に何か危機が起きたときに手を差し伸べることができ、そして台湾の人々からも頼りにされ、信頼される、そんな日本にしなければならない、というのが李登輝の想いを間近で学んできた私の考えだ。

 「信頼できる国」や「頼りになる国」として日本が存在感を示せるようにすることこそ、李登輝が望んだ、真の意味での「日台関係の深化」に他ならないからだ。

◆善意の積み重ねこそが日台外交

 これまで日台は地震や水害、マスク不足など危機が起きるたびにお互い助け合う「善意」の外交を積み重ねてきた。東日本大震災で日本が台湾から受けた支援については言うまでもないだろう。

 来年は奇しくも日本と中華民国(台湾)が国交を断絶して50年を迎える。ただ、日台間に外交関係はなくとも、その実質的な関係は着実に前進していることを感じずにはいられない。ただ、その根底にあるのは、日本を評価し、日本に想いを寄せ、日本に期待し、日本を励まし続け、日本に対する愛情と信頼を寄せてくれた李登輝の存在だった。李登輝が世を去って1年、遺したものの大きさをますます実感する日々である。

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早川友久(はやかわ・ともひさ)1977年、栃木県足利市生まれ。早稲田大学人間科学部卒。2003年から金美齢氏(評論家、元台湾総統府国策顧問)の秘書を務め、2007年台湾留学。国立台湾大学法律系在学中、スタッフとして三度の李登輝訪日に携わる。2012年から李登輝の日本人秘書として対日窓口を担い、晩年のライフワークだった日台関係の推進を支えた。現在、財団法人李登輝基金会顧問として李登輝が遺した膨大な資料を整理する日々を送るほか、李登輝の理念を伝えるべく寄稿や講演を行う。著書に『李登輝 いま本当に伝えたいこと』(ビジネス社)、『総統とわたし−「アジアの哲人」李登輝の一番近くにいた日本人秘書の8年間』(ウェッジ)、『オードリー・タン 日本人のためのデジタル未来学』(ビジネス社)、共著書に『台湾有事 どうする日本 2027年までに中国の台湾侵奪はあるか』(方丈社)ほか、訳書に『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』(プレジデント社)がある。

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