――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港195)
曹操は尻尾を巻いて逃げ出すようなヤワではない。正々堂々と居直って呂伯奢に剣を振り下ろす。絶命を見届け「殺死老狗、免除後患」と嘯く。すると曹操に付き従う陳宮が「似你這様疑心殺人、豈不怕天下人叫罵於你!」と強く詰るのだが、すかさず曹操は「這個・・・公台!俺曹操一生做事、寧教我負天下人、不教天下人来負我!」と傲然と言い放った。
――「殺死老狗、免除後患(な~に、老いぼれた犬奴を斬り捨て、後々の禍を取り除いておいたまでのことよ)」
「似你這様疑心殺人、豈不怕天下人叫罵於你!(かような疑心暗鬼での人殺し、天下人(世間)の罵りを恐れないとでも!)」
「這個・・・公台!俺曹操一生做事、寧教我負天下人、不教天下人来負我!(う~ン・・・陳宮ドノ! 我が曹操の生きる道筋では、ワシが天下人(世間)に背こうが、天下人(世間)をワシには背かせはしない)」――
ここで曹操が亮相(みえ)を切ると、客席からは「好!」「好!」「好!」の掛け声が連発される。さながら歌舞伎で大向こうから掛けられる「待ってました!」「成田屋ッ!」「タップリ!」の類である。第六劇場でも「好!」の掛け声は同じ。いつも曹操に扮してた姜振亭は女性ながらも迫力満点。曹操の傲岸不遜ぶりを憎々しいまでに演じていた。
「捉放曹」は『三国演義』の第四回「漢帝を廃し、陳留位を践ぎ、董賊を謀らんとして、孟徳刀を献ず」を種本にしている。董卓殺しに失敗した曹操が逃走途中の中牟県で逮捕され、知事の陳宮の前に引っ立てられる。ここで陳宮は官職を棄て曹操の将来に賭けた。2人が呂伯奢の許に落ち延びる。一安心と思いきや、曹操の耳に「ふん縛って殺すがいいぞ!」との声。外に飛び出し声のする方へ向かった曹操は、その場の全員を斬り捨てた。
だが、目の前には四肢を縛られた豚が。「ふん縛って殺」されそうになったのは歓迎宴に供されるはずの豚であり、曹操の早とちりで宴席準備中の呂家の人たち命を絶たれてしまった。慌てた曹操と陳宮は呂伯奢の家を立ち去り、再び逃避行へ。しばらく行くと向こうから馬に乗った呂伯奢がやって来た。歓迎宴のために酒を買い出しに行った帰路である。
「おや、なにゆえに早のお立ちか」(呂)、「追われる身ゆえ長居は無用」(曹)、「ささ、歓待の席へお戻り下され」(呂)、「おや、貴殿の後に誰か」(呂)。そこで「何処でござる」と振り向いた呂の背中を曹操の刀がケサに斬りつけた。そして詰る陳宮に向かって曹操が「殺死老狗、免除後患」と。
ここで突然だが、1959年7月から8月の間に、江西省の景勝地・廬山で開かれた共産党中央政治局拡大会議と、それに続く8期8中全会へと転じたい。一連の会議では、前年に毛沢東が強引に推し進めた大躍進政策の是非を巡って激しい議論が交わされたのである。
現実を無視した急進的社会主義化の歪みは中国社会の隅々にまで災禍を及ぼし、食糧不足から大量の餓死者が生じてしまった。そこで毛沢東が故郷の湖南以来全幅の信頼を寄せていた国防大臣の彭徳懐が私信の形で農村の実情を訴え、毛沢東に再考を促す。“飼い犬に手を噛まれた”とでも思ったのだろう。毛沢東は私信を会議で公開し、「彭徳懐は党の乗っ取りを企む反党集団の頭目だ」と居直った。
そして「オレは人の話を聞かない。オレの考えが受け入れられないなら、この場をトットと立ち去って革命根拠地に立て籠もり、もう一度革命をおっぱじめてもいいんだぞ!」と嘯いたとか。まさに“逆噴射”である。
毛沢東の剣幕に驚いた会議参加者全員が道理を説いた彭徳懐を見捨て、毛沢東の軍門に降ってしまう。かくて国民は大躍進という名の飢餓地獄を脱出する機を逸したのだ。この時、毛沢東の心は「寧教我負天下人、不教天下人来負我!」であったに違いない。《QED》