――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港186)
半世紀昔の若気の至り、と言えばそれまでだろう。なにが第六劇場日参への背中を押したのか。たしかに我ながら偏執気味とは思うし、誰に言われるまでもなく呆れるしかない。
とはいうものの、往時の《殖民地・香港》で、しかも場末に在った?園という名のショッパイ遊園地の、そのまた隅っこに在った第六劇場というシミッタレ京劇小屋で、毎晩、舞台を賑わせていた春秋戯劇学校の生徒たちの“熱演ぶり”を記録に留めておくことは、あの貧しくも心躍る時代への一種の鎮魂歌になろうかとも考えるし、また些かナリとも意義のあることだとは自負している。いや、そう信じたい。
おそらく舞台に立った彼らを除いたなら、あの当時の彼らの舞台姿――少なくとも私にとっては無限の輝きを放つ夢幻の世界だった――を記憶の片隅にでも留めている香港の人などいようはずもないだろう。第六劇場に日参した戯迷仲間にしても、当時の年齢からして、おそらく大部分は鬼籍に入ったに違いない。
?園のみならず、九龍城に加え尖沙咀の重慶大厦(チョンキュン・マンション)、それに香港島北角の五洲大厦(ウンチョウ・タイハ)が、いや香港全体が同じように漂わせていた《殖民地・香港》の姿を書き留めておくことは、やや大袈裟な表現だとは思うが、あの時代の空気を記憶している者の責務だと考える。
同時に、細やかではあれ、あの時代が醸し出していた雰囲気を記録しておくことは、「雨傘革命」、さらには「時代革命」の旗を打ち振った若者たち、彼らを煽った内外メディア、街頭で激しく自己主張を繰り返した若者の背後で政治的利害打算に蠢いた欧米諸国をも含む凡そ香港に利害を持った大人たち、さらには「以法治国(法を以て国を治める)」を掲げ統治(支配)のレベルを一気呵成に引き上げようとする習近平政権――彼らの前に殖民地と一国両制の違いを示すことにもつながるのではなかろうか。
それにしても「中国回帰」を経て辿り着いた一国両制下の万事がガンジガラメになってしまった特別行政区に較べれば、当時の香港は、万事に亘ってヌルい殖民地だった思う。もっとも「殖民地にイイもワルイもない。無条件にワルイ」との声も聞かれはするが。
再び1972年12月20日の香港皇都大戯院における春秋戯劇学校の戯単に戻る。
「望児楼」「白水灘」に次ぐ演目は「武家坡」だった。
糟糠の妻を家に残したまま戦地に赴き、長年に亘る異民族との戦いに軍功を挙げた薛平貴が帰宅する。懐かしの自宅に近い武家坡で妻の王宝釧の姿を見かけ声を掛けるが、2人の間を隔てるのは別離の18年の時間であった。妻は目の前に馴れ馴れしげに立つ凜々しい将軍が夫だとは分からない。薛平貴は訝かしがる妻の心を試そうとするが、その姿に怒った妻は家に逃げ帰り、固く戸締まりをしてしまう。
入り口の戸を挟んで、夫は前線に赴いて以降の、妻は夫が出征して以降の、互いの苦難の日々を語り合う。やがて誤解が解け、戸が開かれる。この辺りの2人の唱の掛け合いが観客の耳に心地よく響く。「武家坡」の山場である。
薛平貴を康玉釧が、王宝釧を王雪燕が演じた。共に女性。康玉釧はハッキリした目鼻立ちで小顔の中背。化粧を落としても美形。それだけに生(たちやく)としては些か線が細かったように思えたが、台詞回しはハッキリしていて、凜々しい役柄にはピッタリだった。
王雪燕は春秋戯劇学校では最紅(はながた)。第六劇場での人気は抜群。20代前半ではなかったか。細身の長身で美形。声も動きも立ち姿も申し分なし。彼女が登場するや、舞台が一気に華やぎを増す。最前列に陣取った戯迷の心を一気に鷲掴み。オジサン連はメロメロの態である。王宝釧のような貞淑な妻役よりも、やはり「覇王別妃」の虞妃、「貴妃酔酒」の楊貴妃、「白蛇伝」の白蛇の化身である白素貞など妖艶気味が当たり役であった。《QED》