――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港174)
霊魂や冥界は当たり前のこと、霊魂となってでもこの世に蘇り、ついに恨みを晴らすなど、社会主義社会からすれば荒唐無稽の極みであり、全く認められる話ではない。だいいち非科学的に過ぎる。だから禁戯――ということになるはずだ。だが、毛沢東革命によって生じた多くの犠牲者の立場に立てば、晴らせない恨みの持って行き場がない。
たとえば「土地改革」によって土地財産を没収され惨殺された地主の遺族である。頼るべき一家の大黒柱を殺されたばかりか、生きる術を失った。挙げ句の果てに共産党政権成立後には人間扱いをされないままに生きることを強いられたのだ。叶うことなら毛沢東以下共産党幹部を嬲り殺しの目に遭わせ、地獄の底に突き落とし、針の山で終わることのない塗炭の苦しみを味合わせてやりたい。こう念じたとしても不思議でも何でもないだろう。
だが、現実には復讐は無理だ。ならば、せめて舞台の上の絵空事の世界であったにせよ、現実世界では出会えそうにない清官が現れて破邪顕正のお裁きを下してくれるわけだから、心の中だけでも復讐を果たせる。僅かばかりでも気分を晴らしたい。そう考えるに違いない。キッとそうだ。
京劇(芝居)の効用の1つに「借古諷今(古を借りて今を諷する)」がある。目前の現実社会を「諷(あてこすり)」、「諷(いさめる)」ことは容易ではない。時として権力からの危険が我が身に及びかねない。だが、これは昔々の話として「古を借り」たことにすれば、事を荒立てることもないだろう――というカラクリである。
じつは建国当初は、国を挙げて「旧社会の迷信を社会から一掃する運動」を展開していたわけだから、「善有善報、悪有悪報」「因果応報」などと言った封建道徳とテーマにした「奇冤報」の公演が許されるわけがない。
だが邪推を逞しくするなら、「奇冤報」は「土地改革」を柱とする一連の毛沢東革命の理不尽さを舞台から訴えていたのかもしれない。あるいは「清官」を称えるが、じつは官僚組織によって支配されていた封建社会を全面否定する共産党にとっては、官僚に清官も貪官もない。すべてが打倒すべき対象だったわけだから、「奇冤報」は共産党政権にとっては厄介千万な演目と言うことになる。だから禁戯を言明したに違いない。
「奇冤報」もまた第六劇場では思う存分、繰り返して愉しませてもらいながら、民衆が「奇冤報」に託した共産党に対する抵抗・批判精神の一端を推測することができたのだから、これまた感謝である。
次は『水滸伝』を種本とする「翠屏山」(別名は「?家殺山」「殺嫂投梁山」)だ。
梁山泊の英雄の1人で肉屋を営む楊雄の恋女房の潘巧雲は、じつは好色坊主の裴如海とただならぬ仲。彼女と和尚の濡れ場を目にしたのが、楊雄にとっては刎頸の友の石秀であった。秘密を知られた潘巧雲は色仕掛けで石秀を誘い、口封じを目論んだものの、キッパリと撥ねつけられてしまう。そこで一計を案じた潘巧雲は「石秀が言い寄って困る」と夫の楊雄に告げ口。当然のように楊雄は石秀を疑い、漢(おとこ)の友情にヒビが入る。
石秀は悩んだ末に裴如海を惨殺し、事の顛末を楊雄に打ち明けた。
ここで芝居は山場へ。翠屏山の墓場となる。
恋女房であればこそ、裏切りは許されない。石秀の目の前で事の顛末を明らかにしようとする。だが健気に振る舞う潘巧雲を前にしては、さっきまでの決心は鈍るばかり。
楊雄の心の動揺を見透かすかのように、土壇場で潘巧雲は尻を捲った。石秀を指さしながら、「ソイツかい。それともワタシかい。いったい、どっちを選ぶんだい。ワタシが和尚といい仲になってシッポリ濡れたのも、しょせんはアンタが甲斐性なしのデクノボーだからよ」と毒づくばかり。それでも楊雄は決心がつかない。水滸の英雄も形無しだ。《QED》