――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港126)
1970年代前半までの香港社会を牛耳っていたイギリス系資本を大別すると、
1)Jardine & Matheson(怡和洋行)、Swire & Son(太古洋行)、Hutchison(和記洋行)、Wheelock(会徳豊)など殖民地化に伴って成長したイギリス資本系商社の「四大洋行」
2)HSBC(香港上海匯豊銀行)とStandard Chartered Bank(香港渣打銀行)を軸とする金融資本
3)19世紀にロンドンで創業され、1960年代に香港に参入し、60年代末にGilman(太平洋集団)、Dodwell Motors(天祥汽車)、Tung Tai Trading(東泰貿易)などを買収したThe Inchcape Pacific(英之傑太平洋集団)
4)イギリスのImperial & International Communications(帝国国際通訊)を母体とするCable & Wireless Public(香港電訊)
5)19世紀末に香港に移住したイラク系ユダヤ人で英国籍のElly Kadoorieが創業したSir Elly Kadoorie & Sons(嘉道理家族財団)
これらイギリス系資本に揉み手で近づき、絡まり、凭れ、競合し、時に出し抜きながら香港経済を動かしていた漢族系の家族経営集団(香港、中国本土、台湾、東南アジア華人系。以下、「華資」とする)は、次の4種に分けられる。
Ⅰ)殖民地化に伴って成長した伝統華資
Ⅱ)中国近代化の過程で生まれた民族資本で、国共内戦から共産党政権成立前後に掛けて上海などから香港に拠点を移した大陸由来華資。同系統は中国本土、台湾、東南アジア、南北アメリ
カなどに血縁ネットワークを持つ
Ⅲ)1960年代以降の香港経済拡大のなかで成長した新興華資
Ⅳ)東南アジアで成長した後に、その機能の一部、あるいは海外事業本部機能を香港に移した東南亜華資
これらの華資は規模や業種にかかわらず経営の根幹部分を一族が押さえている点で共通しているが、やはり最大の特徴は中核を不動産ビジネスが担い、そこから生み出される富が他の様々な分野に投資され、さらに大きな富を産みだし、その富が香港全体を動かすことになる。
いわば不動産(地産)が政治権力(覇権)を握ることから「地産覇権」とも呼ばれる社会システムが香港なのだ。不動産本位制野蛮強欲弱肉強食経済こそ、返還前後から叫ばれてきた「香港の繁栄」の本質なのである。
1970年代前半は香港経済が謳歌してきた自由放任(レッセフェール)が地産覇権に取って代わられ、香港経済の主役の座がイギリス系資本から華資へと移る端緒の時代だった。これを言い換えるなら第25代総督(1971年~82年)のクロフォード・マレー・マクレホースが築き上げた「香港の黄金時代」は、皮肉にもイギリス系資本に黄昏が射しはじめた頃でもあったわけだ。
華資にとって飛躍の舞台となった1970年代前半を眺める前に、彼らが謳歌することになる地産覇権の姿を簡単に見ておきたい。それというのも、地産覇権こそが返還を経て香港版国家安全法の現在までの香港の姿を理解するうえでカギとなると思うからである。
華資は不動産ビジネスで手にした莫大な資金を他に投じ、第三者の介入を排除し、競争のない各種ビジネスの命脈を握る。香港全体の市民が必要とする商品とサービスの価格と市場を有効裡に操作してしまう。不動産、電力、ガス、バス、フェリーのサービス、スーパーマーケットに並ぶ品々とその価格を定めるのは、とどのつまりは華資なのだ。《QED》