――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港116)
なぜ、底の割れたようなゲームに興ずるのか。誰もが怒るわけでもない。「インチキだ、カネ返せ!」などを喚く者とていない。いたとしたら、茘園の担当者が駆け付ける前に、客がみんなで罵倒した挙句にツマミ出してしまう。そんな場面に何回か出くわしたものだ。
考えれば客はバカバカしさのまま受け入れて、バカバカしさを楽しんでいたのかもしれない。おもちゃ箱をひっくり返したような混沌と乱雑の中で、互いに適度の距離を保ちながら、バカバカしさを十分に承知の上で、バカバカしさのままに受け入れて、バカバカしく時を送っていたのではなかったか。いわば皆それぞれの暇つぶしである。
――このように考えると、茘園もまた九龍城とは違った意味で香港の縮図だったようにも思える。
ところで話の後先が逆になってしまったようだが、ここで改めて茘園の概要を紹介しておきたい。
かく“独創的”なゲームの間を進むと、左側に事務所棟があり、その先が客家料理レストラン(後にこの店の厨房の入口から関係者然と出入りするようになる。もちろん無料で)。その隣が芝居小屋と呼ぶに相応し佇まいの京劇劇場(ここでの顛末は後々タップリ、と)。ここで右に折れると「200」ならぬ動物園(「ZOO」)に入口だった。
動物園と言ったところで規模は知れているから、大熊猫(ジャイアント・パンダ)なんぞを期待する方がムリ。たしか薄暗いトンネルが穿たれた築山があった。
動物園に足を踏み入れずに右回りに進むと、奇術劇場だった。客席は100席ほどで、茘園のなかではイチバン小ぶり。
多くの演目のなかでの最高ケッサクはゴリラの大暴れ。舞台に立ったパキスタン人風の奇術師が烟に包まれた一瞬の後、ゴリラに変身したのだ。総立ちになってキャーキャーと逃げ惑う客を見て、ゴリラが一瞬怯んだ。「なぜ、こんなに驚くんだ。ホンモノのゴリラじゃないのに」といった戸惑いがアリアリ。だが、ここで怯んでどうする。客が盛り上がっているのだから、すっかりゴリラになりきって暴れて見せる。それが奇術師の務めだろうに。かくてゴリラは胸を叩き、舞台から飛び降りて客席の間で暴れて見せる。客は逃げ惑い、出口に殺到する。ゴリラに目を転ずると・・・これはやり過ぎだったかなァの雰囲気。ともあれ客席を包んだ一瞬の喧騒と恐怖を、客は十分に堪能したようだ。
その隣に広東の古典劇である粤劇と話劇(げんだいげき)の劇場が並んでいた。客席の年齢構成は、とうぜのように粤劇は老人、話劇は若者が主流と思いきや、演目によって客筋が逆転する時もあった。客の数が多いだけに劇場の規模も大きく、衣装は些かセコかったが粤劇は演目が多く、話劇の方は香港の世相を切り取った風刺の効いた演技が楽しめた。
その隣が脱衣舞(ストリップ)劇場で、座席数の割には客は少なく場内は静か。この手の芸に対して香港の人は保守的であり舞台は“比較的健康的”で、過激さは期待できない。
脱衣舞劇場の隣に廟があった。どんな神様が祀られていたのか気にしてはいなかったが、旧正月、清明節、端午節、重陽節になると、もうもうと煙を上げる太い線香を手に神前に跪いていた。その隣に並ぶ食べ物屋台で買った“香港式スナック”を手に、誰もが園内を散策し、ゲームに、芝居に、乗り物に、動物園と、暫しの“夢幻の一刻”を過ごした。
さてスナックと言えば、先ず頭に思い浮かぶのは燻製類。よく食べたのは八爪魚(イカ)と鳳爪(にわとりのあし)。イカは表面が濃いミカン色で、中が真っ白。色のコントラストが、なぜか食欲を誘った。鳳爪は表面の皮目がリアルな燻製よりも、醤油味で煮込んだ方が身離れが好く、軟骨まで楽しめた。一口サイズの三角形の揚げ豆腐、輪切りにした中華式ソーセージ、甘露煮状の湯葉、魚の皮のから揚げ・・・創意工夫に溢れていた。《QED》