――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港116)

【知道中国 2234回】                       二一・五・仲八

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港116)

チャチで底の割れたような仕掛けのゲームに底抜けに興ずる不思議。「インチキだ!」と怒るわけでもなく、「カネ返せ!」と喚く者とていない。いたとしたら、茘園の担当者が駆け付ける前に、客がみんなで罵倒した挙句にツマミ出す。そんな光景も何回か目にした。

おもちゃ箱をひっくり返したような混沌と混乱の中で、互いに適度の距離を保ちながら、バカバカしさを十分に承知の上で、バカバカしさのままに受け入れて、バカバカしさを楽しんでしまう。やはり支配されながら支配する、のである。

――このように考えるなら、茘園もまた九龍城とは違った意味で香港の縮図だったようにも思えてくる。

ところで話の後先が逆になってしまったようだが、ここで改めて茘園の概要を紹介しておきたい。

かく“独創的”なゲームの間を進むと、左側に事務所棟があり、その先が客家料理レストラン(後にこの店の厨房の入口から関係者然と出入りするようになる。もちろん顔パス)。その隣が芝居小屋と呼ぶに相応し侘し気な佇まいの京劇劇場(ここでの顛末は後々タップリ)。ここで右に折れると「200」ならぬ動物園(「ZOO」)に入口だった。

動物園と言ったところで規模はタカが知れているから、大熊猫(ジャイアント・パンダ)なんぞを期待する方がムリ。たしか薄暗いトンネルが穿たれた築山があった。

動物園に足を踏み入れずに右回りに進むと、奇術劇場である。客席は100席ほどだったろうか。茘園のなかではイチバン小ぶり。

多くの演目のなかで最高ケッサクはゴリラの大暴れだった。舞台に立つパキスタン人風の奇術師が烟に包まれた一瞬の後、ゴリラに変身する。総立ちになってキャーキャーと逃げ惑う客を見て、ゴリラが一瞬怯む。「なぜ、こんなに驚くんだ。ホンモノのゴリラじゃないのに」といった戸惑いがアリアリ。だが、ここで怯んでどうする。客が盛り上がっているのだから、ゴリラになりきって暴れて見せてやれ。それが奇術師の務めだろうに。

 

かくてゴリラは胸を叩き、舞台から飛び降りて客席の間で暴れて見せる。客は逃げ惑い、出口に殺到する。ゴリラに目を転ずると・・・これはやり過ぎだったかなァの雰囲気。

ともあれ客席を包んだ一瞬の喧騒と恐怖を、客は十分に堪能したようだ。

その隣に広東の古典劇である粤劇と話劇(げんだいげき)の劇場が並んでいた。客席の年齢構成は、当然のように粤劇は老人、話劇は若者が主流と思いきや、演目によって客筋が逆転する時もあった。客の数が多いだけに劇場の規模も大きく、衣装は些かセコかったが粤劇は演目が多く、話劇の方は香港の世相を切り取った風刺の効いた演技が楽しめた。

その隣が脱衣舞(ストリップ)劇場。座席数の割に客は少なく場内は静か。この手の芸に対して香港の人は“保守的”で、ここの舞台は意外に健康的で、過激さは期待できない。

脱衣舞劇場の隣に廟があった。どんな神様が祀られていたのか気にしてはいなかったが、旧正月、清明節、端午節、重陽節になると、もうもうと煙を上げる太い線香を手に神前に跪いていた。その隣に並ぶ食べ物屋台で買った“香港式スナック”を手に、誰もが園内を散策し、ゲームに、芝居に、乗り物に、動物園・・・暫しの“夢幻の一刻”を過ごす。

スナックで先ず頭に思い浮かぶのは燻製類だ。よく食べたのは鶏の足(麗々しくも「鳳爪」)とイカ。鳳爪は表面の皮目がリアルな燻製よりも、醤油味で煮込んだ方が身離れが良く、軟骨までを楽しめた。イカは表面が濃いミカン色だが中は真っ白で、色のコントラストが食欲を誘った。一口サイズの三角形の揚げ豆腐、甘露煮状の湯葉、魚の皮のから揚げ、すり身にしたイカの揚げボール、砕いた落花生とザラメを包んだパリパリのクレープ、焼いた小さなタコの串刺し・・・創意工夫に充ち溢れた超C級グルメに溢れていた。《QED


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