――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習25)
目下のところ廈門大学華僑函授部の実態は定かではない。かりに海外の華僑子弟を対象に国内の大学における教育課程に準じた形で数学だけではなく、共産党イデオロギーを軸にした文系の教育、あるいは革命教育が行われていたとするなら、海外華僑の中に共産党支持層を拡大させようとする“野心的”な試みであったと言えるだろう。用意周到と言えそうだが、孔子学院の“先行形”とも考えられる。機会があったら実態を調べてみたいものだ。
58年出版:『數學弾性力學的几個基本問題』(科学出版社)/数学厳密主義開祖の1人であるフランスのオーギュスタン・ルイ・コーシーの解析学を軸に、天文学、流体力学、天文学への数学的展開を説く専門書(原典の出版は蘇聯科学院出版社)翻訳。
59年出版:『伽羅華理論』上海科学技術出版社 1959年/ Notre Dame大学でアメリカのEMILY ARTIN博士が行ったガロア(伽羅華)理論の解説を軸に線形代数、群論などに関する講演の翻訳。大学で高等代数、線形代数を学んだ者がより高度の代数学習に進むための予備教材。
60年以降は後日ということで、本題である57年出版の児童書に進みたい。が、その前に、毛沢東独裁・個人崇拝への道を突き進むことになるこの年の動きを簡単に記しておく必要もありそうだ。
1月の党省市委員会書記会議で「やはりソ連を学習すべし」と語った毛沢東は、3月の党全国宣伝工作会議で共産党を大胆に批判することを奨励した。この毛沢東の呼び掛けに応じた知識人は、建国以来溜まりに堪った共産党批判を“迂闊”にも爆発させる。
この動きを受けて毛沢東は5月に「事は変化しはじめた」と語り、6月に入るや党内で「右派分子の狂乱の進攻を反撃する力を組織せよ」と指示する一方、『人民日報』に「これはなぜだ」と題する論文を発表し、さらに「社会主義から離れた一切の言動は悉く誤りである」と語り、党と政府を挙げての反右派闘争を開始する。反党勢力一掃に狼煙を上げたのだ。
10月15日には党中央が「右派分子区分基準」を発表したことで、数十万人(50万人、90万人、100万人、290万人と諸説)が理不尽にも恣意的に「右派分子」と断罪され、このうち知識人を中心に55万人余が正式に「右派」と認定され、その半数以上が公職を追放され、農村での強制労働に動員され、以後は「右派」の罪名に苦しむ人生を強いられた。
国内での反対勢力・不満分子を一掃した勢いを駆って11月にモスクワに乗り込んだ毛沢東は、中国人留学生を前に「東風は西風を圧す」と講話している。「東風(社会主義陣営)」が西風「(資本主義・帝国主義陣営)」を圧倒していると語った勢いのままに、核問題に言及し、「アメリカ帝国主義は張り子の虎」と核によるアメリカの脅しには屈しないと檄を飛ばした。
スターリン亡き後の社会主義陣営の頂点に立つフルシチョフに対し密かに対抗心を燃やしていたに違いない毛沢東は、米ソ平和共存路線に舵を切ったフルシチョフに対し「それは社会主義陣営に対する裏切りである」と激しく反発した。であるなら「東風は西風を圧す」の「東風」は自分であり中国、「西風」はフルシチョフでありソ連と考えるべきだ。以後、中国では毛沢東の独裁、個人崇拝が一気に進むことになる。
以上の経緯を踏まえ、先ずは1月に出版された『第二顆心臓』(科学普及出版社)を見ておく。同書は先進科学技術とスパイ活動を混ぜ合わせたソ連の冒険科学小説で、「知識は力である」と名付けられた雑誌の中文版に発表され、大好評を博しとされる。
主人公は、電離層を通して中国向け送電事業の技術開発に従事しているソ連の先端技術者である。毛沢東の1月の発言のままに、「やはりソ連を学習すべし」だったようだ。《QED》