――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習129)
もう1冊の長編詩は、『張勇之歌』(王書懐 黒龍江人民出版社 11月)である。
淡い茶色の表紙の中央には、駿馬に跨り大草原を疾駆している丸顔の女の子が、黒に近い濃い茶色で描かれている。娘の意のままに高く飛び跳ねたように思える馬の後ろ足の向こうの遙か遠くには、なだらかに続く丘陵が描かれている。
颯爽と騎乗するおかっぱ頭に三つ編みでモンゴルの民族衣装に皮のブーツの健康そうな娘が、「毛主席の良き紅衛兵/労働者階級の良き娘/知識青年の立派な指導者」と高らかに謳いあげられた張勇である。
「紅い太陽がホロンバイル草原を輝かせる」と謳いだされる『張勇之歌』は、人民のために身も心も捧げ尽くした彼女の、短くも充実した人生(?)を綴った長編叙事詩だ。
「張勇、毛主席の偉大な呼びかけに応じてやってきた!/文化大革命の勝利の東風に乗ってやってきた!/祖国と人民の希望を背にやってきた!/果てしがなく遠大で麗しい理想を胸に秘めやってきた!」
南方の街に住む彼女は、毛沢東の唱えた「下放運動」、つまり都市の知識青年は農山村に移住し農民から学べという指示に従い、「別媽媽(母と別れ)」てホロンバイル草原に。
彼女らが乗った汽車が草原に到着する。「北国の春の若葉がいま芽吹く/風は故郷よりも冷たく/雪は故郷よりも深い/ある人は「この地は辛いぞ!」/またある人は「恐ろしくないかい?」/「恐ろしい?恐ろしいことなんかありますか!」/張勇は、確かな口調で、戦友たちの心のなかの決意を語る、確かな口調で/「中国人は死をも恐れない。困難なんて恐れるわけがない。遥か千里の遠方からやってきたのは、困難を求めてこそです!」
やがて馬を自在に乗りこなし射撃を覚え、ホロンバイル草原の人々と肉親のように睦み、彼女は「毛主席の立派な民兵、国境防衛戦線の中核」となってゆく。反動派に対する批判集会では、「集会だ、集会だ/張勇は発言し/張勇は戦う/張勇は毛主席に寄せる無限の忠誠の心を以って/祖国の人民に向かって声を張り上げて報告する/心安らかなれ、祖国よ/心穏やかなれ親人(ともがら)よ/祖国の北の守りを確りと固める兵士は/1つの赤き真心と2つの手で/永遠に戦闘(たたか)い、永遠に歩哨(みは)る。あなたのために!」
そんな「為人民服務」を120%、いや200%も体現したような生活が1年ほど過ぎた頃、張勇を不幸が襲う。
村人が大事に育ててきた綿羊の群れが折からの洪水に巻き込まれてしまった。「君が決然と誓う/嗚呼、真紅の太陽が心の中に立ち昇り/君を鼓舞して戦闘に向かわせる。戦闘だ! 戦闘だ!/胸に刻まれた毛主席の著作は/君を前へ前へと。1歩前へ! もう1歩前へ!/1匹の綿羊を救い/1匹の綿羊を岸に押し上げる/最後の1匹が水面から顔を出したその時/高波が/猛烈な勢いで彼女を押し流した」
「嗚呼、張勇よ!/君は死んではいない/故郷から草原へ/君は万里の山河を越えて/万里の山河よ/君の歩んだ道は、あまりにも鮮やで麗しい!/草原を遊牧する民の、こっちのパオからあっちのパオへ/君は飛び込む、雨風を避け/嗚呼、雨風よ/君の物語は永遠に語り尽くせない」
張勇が生きていたら、今頃は70代の半ばだと思われる。草原の民となって綿羊の放牧に汗を流しているのか。都市に戻り結婚し子育てはとうに終わり、孫相手の穏やかな日々を送っているのか。いや共産主義青年団員から党員となり地方幹部に出世しているのか。それとも新型コロナの都市封鎖に苦しんでいるのか。
習近平政権下の「中華民族の偉大な復興」の現在、はたして彼女の名前は忘れ去られずに語り継がれているか。彼女もまた、文革が生んだ“虚しい英雄”の1人に違いない。《QED》