――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習110)
71年購入分を整理していると、香港発行『釣魚台事件真相』(七十年代)が目に入った。そういえば当時、「釣魚台(尖閣)は中国領だ」と主張する学生が街頭に飛び出した。だが、キャンパスが騒然としたような記憶はない。もっとも「京劇に狂っていたオマエが気づかなかっただけ」と言われたら、「はい、そうです」と素直に応じるしかない・・・のだが。
この本を編集・出版した『七十年代』は、政治評論を軸に充実した文芸欄も備えた香港の代表的月刊誌だった。鄧小平登場前後、改革・開放政策を支持する論陣を張るが、89年の天安門事件を機に共産党批判に転じ、共産党政権下の特別行政区・香港では言論の自由は保障されないと台湾に去る。そんな性格の雑誌でも、こと領土問題については別らしい。
この本は、69年から71年にかけて香港の学生、アメリカ、カナダなどの「中国留学生」を中心に起こった最初の「保衛釣魚示威運動」を軸に、北京と台北の“2つの中国政府”の公式見解、さらに「歴史的鉄証」なるものを示し、尖閣が「歴史的に明らかな神聖不可分の中国領土」であり、「日本の主張」は不当であると退ける――この辺が政治信条・イデオロギーの違いをアッサリと飛び越えてしまう中華民族至上主義の‟業”に違いない。
以下に『釣魚台事件真相』の主張の3本柱を示し、些か疑問を呈しておきたい。
●歴史的視点:『使琉球録』に拠れば、明嘉靖13(1534)年、明朝の高級官吏が東方海域を巡回し、「この島嶼」の沖合いを航行した。次いで嘉靖41(1562)年には明朝高級官吏の郭汝霖が当該海域を巡航し、「五月初一日に釣魚島に、初三日には赤尾嶼に到っている。ここから見ても、釣魚島列島は中国の海域に在り、凡て中国の領土である」と説く。
だが近くを航行し島影を認めたと記録を残すだけで領有が主張できるなら、マゼランが世界一周航海に当たって残しただろう航海日誌に記載された無人島は、すべて彼の祖国であるポルトガル領と主張できる。ヒョッとして、フォルモサ(麗しの島)の台湾だって・・・。
●資源に関する視点:「近年になり釣魚台付近と中国近海、さらに朝鮮近海海底に豊富な石油資源が埋蔵されていることが発見されるや、日本の分不相応な野望を引き起こすこととなった。近年、日本はしばしば海底探査と試掘を敢行し、数カ月前になって釣魚台列島を日本の版図に組み入れてしまった。断固として許されるものではない」と主張する。
だが、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が豊富な海底資源の可能性を指摘したことで慌てて領有を宣言し、内外に声高に言い募るようになったのは中国(+台湾の国民党政権)ではなかったか。
●日本軍国主義復活に結びつける視点:「復活した日本軍国主義はアメリカ帝国主義の後押しを受け70年代以降のアジア支配を目論み、軍事力増強のために最重要戦略物資の石油を漁り続ける」と批判する。
だが日本軍国主義復活云々は高度経済成長を背に世界に躍進していた当時の日本に対する難癖(イチャモン)であり、この批判は、そこから生じた根拠なき悪罵でしかない。
総じて『釣魚台事件真相』の主張は、シロをクロと強弁することを旨とする彼らの政治言論宣伝戦の伝統に則ったもの。かくして、次の捨て台詞を吐くことを忘れてはいない。
「我われは日本の反動派に再度警告しなければならない。武力を用いて強引に中国を割譲するなどという時代は過ぎ去ったのである。釣魚島などの島嶼に対する中国の主権を侵犯することは、誰であろうが断固としても許さない。偉大なる中国人民の面前で、アメリカ帝国主義と結託して中国領土を併呑しようなどという妄想を抱く貴様らのウス汚い試みは、凡て徒労に終わり、必ずや粉砕されるに違いない」。とかく、じつに勇ましい。
彼らは「中国の主権」を熱弁するが、この「中国」は具体的に何処を指すのか。当時の『七十年代』誌の政治姿勢からして、必ずしも共産党の中国ではないはずだが。《QED》