――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習108)

【知道中国 2442回】                      二二・十一・初一

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習108)

あれから半世紀余。いま改めて『美國兵兵球隊在中國』を読み返してみると、当時の中国社会の佇まいが色鮮やかに蘇ってきて、“懐旧の情”を不思議に刺激される。同時に現在と対比して見た時、この半世紀の中国の激変振りに、やや大袈裟な表現になるが、クラクラと目眩がするような思いを抱かざるを得ない。そのいくつかを拾っておくと、

●「18歳のアメリカ人選手は『毛沢東主席は今日の世界で最も偉大な精神と智慧の指導者であり、彼は中国の人々の心に深く入り込んでいる。毛の哲学は優美だ(と語る)」

●「(上海で)かつてごみが溢れごちゃごちゃしていた場所が清潔で整然としている。あの形容しようもなかった貧富の格差は消え失せ、代わって出現していたのは空前の平等社会だった。かつて金持ちは煌びやかな衣裳に身を包み、貧乏人は身にボロを纏っていた。だがいまは誰もが青、または緑のこざっぱりした軍服を身につけ布製の帽子を被っている」

●「一般住宅地区では、新しい建物が目を見張るばかりに立ち並ぶ。一方、ホテル、事務所、政府機関は、やはり元々の建物を使っている。だが昔と比較して最大の違いは、古くなった建物ではあるが、完璧に維持され、極めて清潔ということ。その昔には考えられなかった。道路も完璧なまでに清潔が保たれ、ゴミが落ちていない。紙クズすらないのだ。(昔と比較して)なにかが足りない。そうだ、どこにも野良犬が見当たらない」

●「最も重要な事実は、現在では一種の新しい道徳を持ったということ。いうまでもなく共産主義の道徳であり、資本主義の道徳ではない」

●「毛沢東は英雄という存在に対する人々の願望を満足させた。彼の五体には人類のありとあらゆる美徳が備わっている。彼の信念は一切の階級格差を消滅させることであり、現在までのところ大きな成果を挙げつつある」

●「どの街でも軍事的な厳戒態勢を見ることはなく、人々は自由に往来している。私も気儘に街を散策し人々とことばを交わしたが、なんの不愉快も感じなかった」

――それにしても、「あの形容しようもなかった貧富の格差は消え失せ、代わって出現していたのは空前の平等社会だった」とか、「最も重要な事実は、現在では一種の新しい道徳を持ったということ。いうまでもなく共産主義の道徳であり、資本主義の道徳ではない」とか、「彼(毛沢東)の信念は一切の階級格差を消滅させることであり、現在までのところ大きな成果を挙げつつある」などの記述に出会すと、やはり冗談も休み休みに願いたいと呟きたくなるのを抑えきれない。

とは言え、見方を変えれば一編の壮大な“お伽話”――毛沢東時代の「中国の夢」とでも表現しておこうか――を読まされているようにも感じられる。

振り返れば、米国卓球代表団訪中を入り口にして実現したニクソン訪中が契機となり対外開放に舵を切り、海外から豊富な資金と先進技術を招き入れ、「世界の工場」を経て、いまやアメリカに対抗しうる唯一の国に――是非・善悪・好悪は別にして、国際政治のダイナミズムを感ずる。このダイナミズムを御するのか。翻弄されるのか。今後の課題だろう。

1971年は、中国共産党の建党から半世紀が過ぎた節目の年に当たる。そこで、巻頭に「偉大、光栄で正しい中国共産党誕生五十周年(1921-1971)に謹んで捧げる」の献辞が置かれた詩集『千歌万曲献給党』(上海人民出版社)が出版されている。

巻頭を飾るのは「我々の文学芸術はすべて人民大衆のためのもの。なによりも労働者・農民・兵士のためのものであり、労働者・農民・兵士のために創作し、労働者・農民・兵士が利用するのだ」との『毛主席語録』の一節であり、集録されているのは労働者・農民・兵士が「偉大、光栄で正しい中国共産党誕生五十周年」を祝して謳いあげた数々の詩。いま読み返すと、やはり薄気味悪いほどの予定調和。鼻白む賛辞の山であった。《QED》


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