――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習106)
よくもまあヌケヌケと、ここまで罵言(ナンクセ)を重ねられるものだ。感心するしかない。まさに“罵言芸術”である。だが弱い犬ほどよく吠えると言われているから、これだけ言いたい放題だったということは、当時、彼らは自らが弱いと秘かに自覚していたに違いない。弱いから、遠くの方からキャンキャンと吠えるしかなかった。
やはり“罵言芸術”は負け犬にとっての最後の拠り所だった。であればこそ、あるいは魯迅の説く「阿Q精神」は“罵言芸術”を苗床として発達したとも考えられる。
それにしても地球規模でなりふり構わずに資源漁りを繰り返す現在の中国人に、「お前らが人類の命運を自分の都合で差配し、アジア・アフリカの国家を勝手気儘に分割した時代」ではないという毛沢東の“有難い教え”を、大きな声で冷静に言って聞かせてやろうではないか。
だが舞い上がっている彼らである。こちらの心からなる忠言なんぞに耳を貸す気配などサラサラ感じられない。そこで、もう1つ、「99回言って聞かないなら、100回目にはぶっ叩け!」との毛沢東が口癖にしていたと伝えられる“箴言”を進呈したい。だが、やはり、困ったことではあるが、こっちも聞かないだろう・・・な。
『美国士兵的覚醒』(?念年 四海出版社:香港)はヴェトナム戦争の激化に伴って解体に進む米軍の実態を詳細に報じ、その向こうに「美帝(アメリカ帝国主義)」の犯罪性を描き出す。ヴェトナムの戦場における若い兵士の苦悩が彼らを反戦運動に誘い、やがて反帝の戦いに結びつく。しょせん美帝は張り子の虎であり、やがて世界中の反帝の戦いの中で消えゆく運命にある――と若者を煽る。
だが、その“どうしようもない美帝国主義”と毛沢東は手を結ぶわけだから、やはり国際政治は不可解に過ぎる。だが、その不可解さこそが国際政治を突き動かす劇薬となる。やはり劇薬を投入することで、膠着状態に陥った国際政治は動き出すに違いない。
『美國兵兵球隊在中國』(文教出版社)は、世界中をアッと驚かせたニクソン訪中の先駆けとなったアメリカ卓球選手団の中国訪問を伝える。(ちなみに「兵兵」の前の「兵」は右の「ヽ」がなく、後ろの「兵」は左の「ノ」がない。pingpangと発音しピンポンのこと。漢字が見つからないので、致し方なく「兵兵」と記しておいた)。
1971年4月、名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会で、あるアメリカ選手が中国選手団のバスに乗り込んだ。文革当時のことであり、中国が最大の敵と看做す「美帝」の選手であるからには、バスの中でさぞや袋叩きにあっているだろうと思いきや、あに図らんや熱烈歓迎を受け、満面笑みを浮かべて中国代表団のバスから降りてきた。
下手な脚本家でも書かないような“偶然”をキッカケに、アメリカ代表団は中国に招待される。以後、両国外交関係はとんとん拍子に友好ムードに転じ、かくて72年2月のニクソン訪中という電撃的ドラマを生んでしまった。世に言う「ピンポン外交」だが、国家規模の金欠病に苦しんでいた当時の中国が考え出した苦肉の超安価外交でもあろう。世に「貧すれば鈍す」と言うが、この場合は「貧すれば策を弄す」となりそうだ。
『美國兵兵球隊在中國』は、中国政府の招待を受けたアメリカ代表団に同行したJ・ロドリックAP通信記者ら5人のジャーナリストたちの報告を纏めたものである。
一行の訪問先は北京、上海、広州など。各地で熱烈歓迎の波に迎えられ、あの鼻白むスローガンである「友誼第一・勝敗第二」の試合を行う選手団の姿を報じつつ、アメリカにとっては未知で神秘の国であった中国の姿を伝えている。
だが延々と続く提灯記事に、いつか知らずに眉にツバを付けたくなってくるから不思議・・・アメリカ選手団の訪中が“出来レース”だったことを窺わせるに十分である。《QED》