――「臺灣の事、思ひ來れば、感慨無量・・・」――田川(16)
田川大吉郎『臺灣訪問の記』(白揚社 大正14年)
「今の臺灣を守備する日本兵の境遇は、當年の滿洲を守備せし清兵の位地境遇に類す、故に當年の清兵が滿洲に死戰するの決心なかりしが如く、今日の日本兵は、他日有事の日、臺灣を固守して、臺灣のために死戰する意氣、決心、比較的乏しきものあるべきは、勢ひの免れざる所なり」。だから台湾は台湾島民による民兵によって守護すべきだ、となる。
とどのつまり田川は、「臺灣人民を信じて、我が赤心を披いて、直に彼の臆に置」くことが台湾経営の要諦だと主張する。
だが、その前提として「臺灣の島民をして斯土を愛惜せしむる」のカギは台湾の繁栄にある。やはり「日本の施政以來、總ての臺灣人は、職業足り、賃銀足り、衣服足り、飲食足り、家屋足り、利益足り、以前清の治下に在りし時代には、夢想にも及ばざりしほど」の繁栄を実現させなければならない。
「臺灣を清より奪つて日本に歸せしめたる天命」とは、「臺灣の文化を進めて、十九世紀の潮流に同化せしめ、臺灣の市場を世界の市場に觸接せしむること」であり、そのためとして田川は「第一は鐵道の敷設、第二は道路の貫通及修築、第三は港灣の改修、第四は河川の整理、堤防の修築、第五は郵便電信等通信機關の整備、第六は、航運事業の發達、第七は衞生的各種事業の施設等」を挙げているが、どうやら台湾総督府の方針とほぼ重なっているらしい。
ならば、と田川は次の提言を加えた。
以上の7事業は「臺灣の經營に緊急缺くべからざる」ものであり、早急に着手すべきだ。それというのも「方今の世界に在りて臺灣の如き、萬國の眼を惹きたる新附の領土を經營するには、他の列國が印度を懷柔し、安南を經略し、南洋諸島を經營したるが如き、手ぬるき舊時の手段に因る」ことは許されない。「急行活施、一日の遲滯なく」進めなければならない。
問題は財政だが、「總督府の組織を縮少し、其官吏の數を減じ、其一部分は支那人を登用して之に充て」、それでも不足の場合は「臺灣事業公債を募集すべし」。
そこまでしても不足なら、「第二は臺灣鐵道の民設會社の手に委したる」ものを取り返し、「臺灣の鐵道を官設になし置」くことで財政的基盤が確保できる。総督府の財政的自立は急務であり、英領セイロンの財政が鉄道収入に支えられているように、台湾経営にも鉄道収入は是非とも必要だ。やはり「臺灣鐵道を民業に委したるは、臺灣百年の計のために深く惜しむべきなり」。
次が台湾の文明化である。
なによりも田川は「臺灣の文明を促進する義務」は「日本が此島を収受するの始め、已に天命として、世界萬邦の前に、日本が起誓した」ようなものだ。だから文明化への日本の責務を軽んじてはならない。台湾文明化には2本の柱があり、片方の柱である物質的方法は既に述べた通りだ。残る一方の精神的側面に関しては「之を要するに敎育に外ならず」。
じつに教育こそ台湾統治の成否を決するといっても過言ではない。
台湾における教育に関しては「數年若しくは數十年の短日歳月の間に、臺灣人に能く日本人同樣の氣風に融合させ、之に由つて日本統治權、永遠に鞏保せらるべしとする説」が聞かれるが、「其心は愛國の至誠に溢れての言ならんも」、それでは「臺灣人を百年の歷史なき、一定の守操なき、浮萍の如き人民と觀」ることに繋がってしまう。
教育の本来の目的は台湾人の文明化にこそあれ、日本化にはない。台湾の文明化が果たせなかったら「臺灣領有の根本の目的を果すに足らずと謂はざるべからず」である。《QED》