――「臺灣の事、思ひ來れば、感慨無量・・・」――田川(15)
田川大吉郎『臺灣訪問の記』(白揚社 大正14年)
「列強の政治を動かしていた」勢力が恐れていたのは、なによりも「『現地人』の発展」だった。その「『現地人』の発展」を積極的に推し進めようというのだから、田川の「臺灣統治策」は西欧列強による殖民地統治の常識とは確かに大きくかけ離れている。つまり西欧列強のモノサシでは非常識である。そこで、なにか良からぬ下心でも隠しているのではないのか。こう日本は痛くもない腹を勘繰られてしまう。
かりに当時の日本がシベリやアフリカ、さらに南北アメリカなどを押さえることになった場合、田川の説く「同洲同文の人種」は統治のモノサシにはならないだろう。であればこそ、田川が台湾統治に関してイギリスによるインドや香港における統治の仕組みを持ち出すことは、どう考えても筋違いだ。
台湾統治に際し現地人を積極任用するとして、それを効率的に進めるために「本邦通譯生を任用」せよと説く。それというのも「第一、彼等の執務を監督し、第二、彼等に日本の政治主義、方針、運用の方法等を説明し、領解せしむる」に極めて有用だからだ。だが、任用に当たってはそれ相応の待遇で遇するべきだと付け加える。
台湾の「多數の人民は、今も猶ほ不文にして、外國の形勢を知らず、未開の状態に、桃源の夢を貪りつゝあり」。そうなっているのも「敎育の澤に浴」していないからである。だが、だからといって「我が政府は、臺灣の文明の低度なるを奇貨とし、多年、使ひ古したる内地の吏員を、こゝに移し込」むようなことをしてはならない。反発されるだけだ。
なによりも総督府は「青年有爲の士の瘴癘を侵し、前人未踏の地に入り、日本のため、拓土植民の素を開くを期すべ」きである。
統治に当たって台湾島民を任用し「本邦通譯生」の活用に加え、台湾のことを熟知する西洋人の雇用を考えるべきだ。それというのも日本人にとって台湾は未知の地である。だが「西洋人等は臺灣島にも亦其他未開地に於る例の如く、先年より遺利を此地に探り、事業を起し、事業を營み、敎會を立て、學校を設け、臺灣の開發のため、相當盡力しゐたれば、臺灣人の此れ等西洋人を信ずること頗る厚く、現在の居留者は、至つて少數なるに拘はらず其臺灣人間に有する勢力は、割合に多大なり」。
だから田川は「若し外人の中、臺灣の實情に明るく、かねて多少の吏才あり、技能ある者あらば、之を擧げて顧問とし、我が政府の參畫に資せしむること」が肝要だ。「聞く所に據れば、彼等の中には、數十年斯土に住み馴れたる者あり、能く斯土の言語を知り、風俗を知り、歷史を知り、産業を知り、臺灣の婦人を娶り、臺灣の習慣に親しみ、臺灣を墳墓の地と定め、一意斯土斯民のために貢献せんと志しつゝあ」る者があるわけだから、「其占領せる新附の土の殖民政策に、外人の忠告を容るゝを躊躇すべき」ではない。
次いで田川は警察制度と民兵組織の面から、「人心を安堵せしむる道」を提言する。
現状の台湾統治は「島民を信用すること厚からず專ら守備隊、憲兵隊の威力に由り、威壓的に、之を控制したるは疑ふべから」ず。だが「今日に在つては、最早や此の如き過嚴の警戒を必要」としない。だから治安維持は軍隊ではなく警察に任せ、「此の警吏も、成るべく多くを島民中より採り、臺灣の島民をして、自ら衞り自ら安んずる方針に依らしめる」べきだ。
「元來護國は其國民の務め」であるからこそ、「矢張り臺灣人をして、臺灣の土を守らしむるが、兵制上にも至當の事なるべし」。日本兵を台湾に派遣する事も、島民を防衛の任に就かせない事も「齋しく國家の不利に歸す、其原因は要するに臺灣の島民を信ぜざるに在り」。台湾を守るに島民以上に「適當の壮丁あらんや」。やはり島民を信ぜよ、となる。《QED》