――「臺灣の事、思ひ來れば、感慨無量・・・」――田川(11)田川大吉郎『臺灣訪問の記』(白揚社 大正14年)

【知道中国 1974回】                       一九・十・念二

――「臺灣の事、思ひ來れば、感慨無量・・・」――田川(11)

田川大吉郎『臺灣訪問の記』(白揚社 大正14年)

 次に「營利的」方面から考える。

 「支那人にても、日人にても、足を臺灣に投ずるものには、必ず營利上の目的」がある。だが「利を看るに敏にして、利を謀るの周密なる、日人は到底支那人の敵にあらず、支那人の看るところ、日人の看るに及ばざる所はあれども、日人の看る所にして、支那人の看るに及ばざる所は無し」。

だから台湾の将来における商機を考えた時、「日人のみ獨り臺灣に入り、支那人は指を咥へて之を傍觀」したままでいるわけがない。それというのも「支那人が、獨り營利的人種なるが故のみにあ」るからではなく、「實に福建廣東等重に臺灣に移住し來る支那民族が、支那四百州中に傑出したる流動的冒險人民」だからである。

彼らは「多く海舶を家とし、四海を國とする多年の傳統的慣習」を持っているから、凡そ商機を認めたら世界の果てまでも出掛けて行く。だから台湾に商機があって日本人が増加すれば、彼らもまた増加する。「決して日本人のみ増殖して、支那人のみ減退するの理由あるべからず」。よって「將來の臺灣人は支那人と日本人」であり、「此二人種こそは、即ち所謂臺灣島民にして、將來臺灣總督府の注意すべき對象の人民」だが、「日本人は、將來多くとも、支那人の一割を超へざるべきか」。

田川が日本人を「支那人の一割を超へざるべきか」と想定した点は些か疑問だが、いずれにせよ「將來臺灣總督府の注意すべき對象の人民」は福建・広東系と見定めていたということだろう。

次いで「本論」に移り、「臺灣を統治するに必要なりと信ずる方法手段」を説くことになるが、その要諦は「一、臺灣の人心を安堵せしむること」「二、臺灣の産業を繁盛ならしむること」「三、臺灣の社會的氣運を文明化せしむること」にありとする。

「臺灣人の多數は、日本人にあらずして、支那人」である。当然のように「其政治は特に支那人に厚くするものにあらざる」が、やはり日本人の意向に副わないこともあるだろう。日本人には「誠に氣の毒の至りなるも、其實政治の本來の目的なれば、已むを得ざるなり」。

日本人としては「以上の議論に不服の點」があるかも知れないが、日本が台湾を領有したのは「日本が偶々一戰して支那に勝」ったからであり、また日本の国力が「歐洲強國の、東洋に有する武力の上に出づるがため」である。

かりに他国が「日本よりも、より善き政治を施す」なら、台湾人は日本を嫌って「舊支那政府の下に復歸」し、あるいは「歐洲の他の強國の侵入を希ふ」ことになるはずだ。つまり「臺灣は、永久に日本の治下に在るもの」ではなく、であればこそ「日本人及び日本政府は、則ち臺灣の多數民」の意に副う政治をするしかないのだ。

台湾では日本におけるとは異なった政治、敢えて言うなら「一に世界的觀念を旨として經營せざるべからず」。そこで「其世界に對する事實の關係は、前日は支那の一片隅なりし孤島、今日は躍進して世界の中央に位するが如く」に経営せよ。台湾経営は「勉めて世界的觀念を養ひ、臺灣の政治を扶育、發達せしめ、世界の殖民地に稀なる善政美磧を擧ぐべきなり」。

以上を言い換えるなら、日本は台湾を日本の台湾としてではなく、世界の中の台湾として経営せよ。日本のための台湾経営を排し、飽くまでも台湾を世界の中の台湾と位置づけ、それゆえに「臺灣の人民をして今世紀の世界的文明に同化し得べき素質を備へしめ」なければならない――ということだろう。じつに斬新で革新的・先駆的な考えだ。《QED》


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