――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(22)
中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政�社 大正四年)
日清戦争前後から敗戦までの中東鉄道を巡っての動きの大筋を考慮したうえで、中野の主張に戻りたい。
満洲をめぐる列国の対応に対し、現地で目にする我が政府の動きは甚だ心許ない。であればこそ、「滿鐵なるものは我無能なる外交の缺漏を補ふべく�々巧妙なる活動をすべき」である。これまでの経験からして、「滿洲に於て支那人との合辨事業は殆ど不可能」だ。「歐米先進國の特許會社は、世界到る所の植民地に於」て成功している。これら成功例に鑑みるなら、やはり「我國の植民政策は、周到なる研究と、敏捷にして巧妙なる手段とを缺き、一に名目のみに拘らんとする所、實に官僚式を其儘なりと云ふを得べし」。朝鮮統治と同じように満洲でも、「陸軍第一の威勢家を總督として、總てを劃一政策の鑄型に叩き込まんとする」。であればこそ満州経営が成功するわけはない。朝鮮経営の二の舞だ。
やはり「唯周到なる研究と、巧妙なる手段とにより、細を盡し、微を盡し、實に土人に對する深切の力」こそが、植民地経営のカギだ。現実の満鉄経営陣をみれば、「植民會社の必要條件とせらるゝ周密なる實際的研究、巧妙なる手腕、冒險的勇氣、敏捷なる活動に至りては、毫も認め」られない。「他の外務省系の領事館などゝと同樣に、萬事文書上の調査を基礎として、少しも實際的經驗をなさ」ず。加えて「領事輩は支那人に對しても、日本人に對しても、毫も踏み込みたる實際的研究をなさず、單に領事警察の巡査等の探偵せし結果を報告書に綴り、之を外務省に提出して、その職責を免るゝが如き、爲體なり」。
満鉄も領事館(外務省)も役立たずなら、陸軍主体の「都督府の態度も、大概大同小異なり」というのだから、最早ナニヲカイワンヤ、である。だが考えてみれば中野の慨歎から1世紀ほどが過ぎた現在、外交の要となる官邸や外務省、さらには出先の大使館や領事館、はては通商貿易政策の舵取り役(?)であるJETROや援助外交の司令塔(?)たるJICAなどの活動を見るに、これら機関(ということは、そこで禄を食んでいるヒト)の日々の活動は大いに改善されたのだろうか。中野の当時と「大概大同小異なり」ではないことを願うのみだ。
中野の慨歎は続く。
「要するに我植民地に於ける凡百の施設は、内地に於けると同樣、形式主義、劃一主義なる官僚風の弊に落ちたり」。であればこそ「同じく官僚主義を以て固められたる滿鐵」では、到底理想的な植民地経営は望めない。「宜しく劃一的官僚風の弊を一掃して、實際的に親切なる働きをなすは、實に帝國植民政策の爲に忘るす可からず」。であればこそ「滿鐵會社に重役たるものは、宜しく政商と結託し、會社を胡魔化して、私腹を肥やさゞるの愛國心を起こすべし」。これまでも「伏魔殿」と指弾されてきた満鉄に「政黨的勢力の注入されし際」、余ほど注意しないと「政黨の餓鬼により喰ひ盡さるゝに至るやも知る可からず」である。それにしても「政黨の餓鬼」とは、現在にも通じる実に的確な表現だ。
このままでは満鉄は「從來の官僚的劃一主義の弊に陷」ったままで改革は覚束ない。だが、だからと言って「政黨の餓鬼」の容喙を許せば、「黨人の無能に搗てゝ加へて、不廉潔俗惡なる行爲の續出せんこと」を「最も憂ふ」しかない。
かくして中野は、満鉄改革に「大鉈は宜しく振ふべし」。だが振り間違えれば「國家の災難」となる。また政党が手を突っ込むことを許したら、「政黨側より生え出でんとする毒菌に培ふが如んば、我國の大陸經營は大蹉跌に際會」することになる――と結論づける。
満鉄の創立から敗戦による消滅までの経緯を振り返えると、一面では国内的要因によって経営が左右され、とどのつまり「我國の大陸經營は大蹉跌に際會」したわけだ。《QED》