――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(8)
中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政�社 大正四年)
「單に目前の利�のみに支配せらるる者に非」ざる国家と、「元來利�を目的として活動する」会社とを同列に論ずるわけにはいかない。そこで中野は「『私人の植民的企業は、唯新開地最初の發展時期に於てのみ許し得べき者なり』とのルロア、ボリューの説」を援用して、満鉄をして「其豐富な資力を以て、滿蒙開拓の先驅となり、諸種の利源を調査」せしめ事業を拡大させればいい。だが「其附屬地を永久に支配するが如きは、國家の發展の爲め、否滿鐵の爲にも」させるべきではない。
軍人に代わって文官の都督を置き「滿鐵と都督府を統一」させたうえで、領事もまた都督の下に配す。そうすることで「滿洲なる特殊の地に在る領事をして、普通の領事と、異なる行動を取らしむる」ことが可能になる。つまり満州という特殊な地で領事に国家のために存分な働きをさせるためには、領事業務を外務省から切り離さなければならない。
実際に現地で領事に接すれば判ることだが彼らは無能であるばかりか、「滿洲に於ける領事の地位が、一種外務省内不遇者の休息所たる觀あり、各領事が無事にして期日をだに了せば、更に榮轉の曙光を認め得べしなど云ふ態度にて、萬事事勿かれ主義にて萎縮する」ばかりである。これでは「我國の滿蒙に於ける對支外交は、決して面目を改むる」ことなどできはしないというのが、中野の考えだ。
また「今日の如く陸軍部内の老朽者を都督に任じ」、「之に三頭政治を統一せしむるが如き權能を授」けることは極めて危険である。「唯だ有爲の士に權力を授けよ、重みは自から附くべきなり」と結論づけるが、「本國に於ける政界の不安定」が「植民地に於ける事務の不統一を甚だし」くさせることを考えれば、やはり満蒙の開拓・開発の要諦は一にも二にも本国政界の安定に掛かっていることに帰結する。
つまり「滿洲に三頭政治ありて、治績の擧らざるも、本國政界の不眞面目なるに因ること大半に居る」。「本國政界の不眞面目なる」が外交の手足を縛り国益を毀損させるのは、すでにこの時代に始まっていたということか。それにしても満州における領事が無能だったり、「一種外務省内不遇者の休息所」であったり、「無事にして期日をだに了せば、更に榮轉の曙光を認め得べしなど云ふ態度にて、萬事事勿かれ主義」であったり・・・ダメさ加減が外務省の伝統というのなら、もはや処置ナシ。
やがて中野は奉天を経て長春へ。「日露支三國箇國の勢力鎬を削りて相爭ふ所なれば、悠長なる支那下層民までも其刺戟を受け」て「何となく活氣あり、何となく忙しげなり」。
早速、市街に公升号の屋号を持つ商店を訪ねる。店構えはチッポケで「當地隨一の焼酎釀造」とは思えない。だが「其中を一觀するに及びて、實に豪家なる」を知るのであった。正業は焼酎醸造だが、「磨房を副業とするのみならず、錢舗(兩替屋)、當舗(質屋)、米屋、雜貨屋、舶來品卸小賣屋、油屋等總ての商賣を同一邸に於て營む」そうだから、現在の企業集団といったところか。ビジネスのモットーは「正直と勤儉」だそうだ。
日本が内外に誇る「三菱三井を物の數とせざる大富豪」が長春のような田舎町にあることは、決して奇異なことではない。ただ「純然たる舊式の支那風にて、これ程の大規模をなすは甚だ奇觀なり」。ここで中野は富豪というものの生態を比較してみせる。
「日本人ならば中庭を淨めて樹木を植うるべき筈なれど、勤儉と稱する御家法に副ふべく豚を養ひて糞泥を迸しらせ、牛馬を放養して豚と共に相追逐せしむ。凡そ一本の草木、一疋の獸類にても、何等か利益の目的」がなかったら、植えもしないし育てもしない。これこそが「支那人性の特徴にして甚だ無風流」ではあるが、「政治的には滅亡せんとしながら、經濟的に活くる所以も此に在るべし」。「支那人性の特徴」は永遠に不滅なのか。《QED》