――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(6)
中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政�社 大正四年)
「日本一」であるかどうかは判断の分かれるところだが、考えてみれば「領事の背後にある外務省」だけが「無定見」だったわけではなく、「滿鐵の背後にある政府」も「都督府の背後にある陸軍」も共に「無定見」だったはずだ。せんじ詰めれば政府それ自体が「日本一の無定見」だったという結論に至らざるをえない。それは政府を組織する各々の機関の「無定見」に止まるものではなく、政府総体、いわば日本が国家として関東州・満州を如何に対処すべきかの大方針がなかったということを意味することになる。
現在でもメディアでは永田町に対しては「党利党略・派利派略のみ」、霞が関に対しては「局�あって省益なし、省益あって国益なし」などと批判し、国民不在を難詰する声が絶えないが、どうやら日本では既に大正の時代に政府――とどのつまりは国家としての基本的大方針を定めないままに(ひょっとして基本方針など定める必要なしと考えていたのかも知れない)、列強が手練手管を盡して国益を求めて火花を散らした国際政治の舞台に踊り込んでいったということだろうか。それならば暴虎馮河・・・まさに匹夫の勇としかいいようはない。空恐ろしいことだが。
中野は、政府無定見の結果としておこる満洲における三頭政治の弊害を具体的に説く。
日本は各々に「異なる國際上の性質を有す」る「關東州と、州外の鐵道附屬地と、附屬地以外の開放地」の3地を持つが、それぞれが「都督府、滿鐵、領事なる三機關」の下に置かれている。「關東都督は關東州に於ける行政の主體」だが、「一歩州外に踏出せば、鐵道沿線の附屬地」では都督府ではなく満鉄の行政権の下に置かれる。だが満鉄には「兵權は勿論警察權すらも附與せられざるなり」。「警察權に關する限りは、總て都督府の支配を受けざる可らざるなり」。そこで都督府は該当する地域に警務署を置く。ところが「附屬地以外の開放地」の「一定地域においても日本人の居住は許されている」から、これら日本人を保護するために設けられた領事館には領事警察署が設けられている。
ここで都督府管轄下と「附屬地以外の開放地」における二重の警察権という問題が生ずる。そこで都督府は致し方なく領事警察署に都督府の警察権を付与するのだが、領事警察は外務省と都督府の双方の指揮下に置かれることなる。領事警察は命令系統の上から「往々にして都督府の意向に悖りても、外務省よりの使命を全うせん」するが、都督府は外務省の意向を無視してでも領事警察を自らに従わせようとする。かくして外務省と都督府、つまり陸軍との間に軋轢が生じてしまう。そのうえに「附屬地以外の開放地」は「支那警察官」も管轄し、「其傍には支那兵が傲然」と控え日本側守備兵を監視している。
いわば「附屬地以外の開放地」の治安は日本側の「三頭政治の矛盾」と「日支間の紛議」の中で複雑な仕組みによって維持されている。
「例えば外務省は支那に對して所謂温和主義を以て一貫す」るのとは反対に、都督府は「威を示すを必とすべしとなすことあり」。また駐屯軍は「或は陸軍省の方針により、或は參謀本部の意向により別個の考を持し、常に領事の優柔なるを憤慨す」る。こういった混乱した対応の最中、「領事の優柔」が愈々もって「支那人の侮蔑を招けば」、「軍人側の憤慨は�々抑ふ可らざるに至る」ことになる。かくて「領事警察官が支那兵に毆打」される事態が起れば、「日本守備兵が急馳せして支那兵いに報復する」ことになる。領事(外務省)が「守備兵の輕擧」を批判すれば、「都督府と陸軍とは領事の軟弱なるを責めて已まず」。たしかに「軟弱なるを責むるは、至極尤も」だろうが、とどのつまり都督府(陸軍)は「所謂腕力主義にて弱者を力制すれば足れりとなす短見の外に出でず」。かくて営業に影響を及んだとしても満鉄の立場では効果的対応は不可能であり、事態は紛糾するばかりだ。《QED》