――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(18)
徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)
■「(九)言語の共通」
排日論者が往々にして「支那留學生上がりの者に多き」点を考えれば問題はあるが、「日本にして、若し將來支那に於て、又は支那に向て事を爲すなからんと欲」するなら、「日本人自らが進んで、支那語の學習に從ふと同時に、支那人に向て、日本語の普及を計らざる可からず」。にもかかわらず「今や支那留學生は、從前の三分一乃至四分一に減少したり」。「支那に於ける日本語の前途は、實に現状の儘ならば、悲觀」するしかない。
そこで徳富は「我が朝野の識者に警告」し、どうすれば「より多くの支那留學生を、日本に招致する可き乎」「如何にして支那に於て、日本語を敎授するの學校を新設し」、あるいは既設の教育機関をテコ入れすべきか」と訴える。
だが、「我が朝野の識者」が外国人に対する日本語教育が対外戦略(ソフト・パワー)の核になるという認識を持ち合わせているとは思えない以上、徳富の「警告」に余り意味があるとは思えない。
であればこそ、現在、我が政府が進める「クール・ジャパン」の悲喜劇が繰り返されているのではないか。
■「(十)難有迷惑」
日支親善を思う者も思わない者も、それを口にする。「特に辭令に巧なる支那人としては、云ふ丈にて損なき文句なれば、固より言葉に於て、日支親善の大安賣を爲すも決して偶然にはあらず」。だが「親善の文句の裏には、不親善の事實ありと知る可し」である。
かつて「子々孫々までの日中友好」の空念仏が聞かれたが、今にして思えば確かに「親善の文句の裏には、不親善の事實ありと知る可し」であった。そんな「子々孫々までの日中友好」の大合唱のうちに日中平和条約が結ばれて、今年は40周年である。10月になると安倍首相も参加して北京で大々的に40周年記念式典が華々しく挙行されることだろうが、であったとしても、いやであればこそ徳富の「親善の文句の裏には、不親善の事實ありと知る可し」との警句を、日本人は拳々服膺すべきだと痛感するのだが。
さて徳富に戻る。
「支那の獨立も」「支那の平和も」「支那の進歩も」、すべて日本の支えがあってのことであり、これこそ日本の立場からする「親善の實」というものだ。これは「支那たりとて、若し虛心平氣に考へたらば」認めるところだろう。だが現実的に彼らは日本の支えを「難有しとも、忝かなしとも思はざる也」。「露骨に云へば、日本人が自ら恩に著する程、支那人は恩に著ざる」だけではなく、甚だしきは「(日本からの)恩を仇として考へ居る者も、少なからざる可し」である。
では、なぜ彼らは恩を仇と見做すのか。それは「己が流儀を他に彊ふるは、必ずしも欲する所を施す」ことにはならないからだ。かくして「兎角日本人が、支那を解せず、支那人を解せず、又た解」しようともせずに、「唯だ短慮一徹に、我が思ふ所を、遠慮會釋もなく、之を支那及び支那人に施し、而して是れ則ち親善なりと云ふに到りては」、彼らからすれば「難有迷惑」でしかない。
徳富の記すところから判断して、当時の日本からする「日支親善」は独りよがりでしかなく、反発を招きこそすれ、彼らの賛同は得られなかったということのようだ。
■「(一一)文明中毒國」
「支那人の缺點を指摘」するなら、「蒙昧野蠻なるが爲め」ではなく「餘りに文明なるにあり」。彼らの文明が古今東西に優れた点は「世に處する智巧」にこそある。《QED》