――「實に亡國に生まれたものは何んでも不幸である」――釋(3)釋宗演『燕雲楚水 楞伽道人手記』(東慶寺 大正七年)

【知道中国 1771回】                       一八・八・初六

――「實に亡國に生まれたものは何んでも不幸である」――釋(3)

釋宗演『燕雲楚水 楞伽道人手記』(東慶寺 大正七年)

 釋宗演が現に仏教の復活が絶望的なら「多少生命を繼いでゐる孔子�を事實上の國�と定めて、國民の幸福を計り思想を統一されんことを希望」したところ、梁啓超は「其厚意を非常に喜んで謝し同感であることを話した」という。その際の梁啓超の態度は「單にお世辭ばかりでもなかつた様だ」とか。だが、両者の遣り取りは奇妙だ。一方の釋宗演(ということは日本の大方の仏教者)は中国における仏教を誤解し、梁啓超は釋宗演の誤解を判ったうえで「非常に喜んで謝し同感である」と意思表示した。つまりは「單にお世辭」だったように思えるのだが。

 いったい中国における仏教の立場は、それが禅宗であれ日本とは違うように思う。仏教が名もなき民衆の日常生活を大きく律しているわけはないから、どだい「國�」化はムリな話だ。「多少生命を繼いでゐる孔子�」にしたところで、やはり広く流布しているとは思えない。となれば、「多少生命を繼いでゐる孔子�を事實上の國�と定め」たくても定めようがないだろうに。どうやら円覚寺の高僧の誤解に基づく“独りよがり”に基因する一方通行というのが、両者に会話が成り立たなかった背景にあったようだ。

 次いで表敬した外務総長の汪大燮に向っても釋宗演は宗教について語りだし、「孔子の道が優れてゐて、宗�の要素を遺憾なく持つてゐる故、之を向上せしめて不文の國�としては」と慫慂する。これに対し汪大燮は「別に異議はない」と応える。これに気を良くしたのか釋宗演は、「孔子の�に君臣の關係を嚴格に説いてあるが、今の御國の状態では夫が全然一致しないと思ふが」と問い掛けた。すると汪大燮は「是は一應尤ものことだが」と口にしたうえで『易』に記されている「小康大同」の4文字を持ち出し、「君の字を狹く解する必要はない、廣い意味に用いて差支えない筈である、モツト低く云へばお互いに使ふ所の君とか僕とか云ふ時の字も、同一の字を用ふるではないか」と返してきた。

 随行者・二條毅堂は汪大燮には「此(仏教や儒教)の方面の研究に充分向ける程の餘裕は絶對にないことと思」い、「隨分窮した答辯を捻り出した」と酷評する。だが、ここでも梁啓超との遣り取りと同じように、釋宗演の解釈に問題があるはずだ。「君の字を狹く解する必要はない、廣い意味に用いて差支えない筈である」という汪大燮の見解が正しいと考えられる。どだい融通無碍の人々である。日本化された厳格な概念をぶつけたところで、彼らにとってみれば余り意味をなさない。

 まさにすれ違い。思い違い。これが同文同種の実態である。同じ漢字を使い、同じく儒教経典を繙き、同じく仏教を学んだとしても、その内実には千里万里の径庭があるということを、やはり日本人は理解しておくべきだったろう。これは現在にも通じるはずだ。

 「有名な萬壽山に遊」んだ際、「其の規模の宏大なる事は支那式を發揮してゐて、其の思ひ切つた計劃は將來を考へないで、唯現代に理想を實現すれば滿足と云つた調子に思うはれた」と嘲笑気味に感想を綴った後、とはいうものの「考へ方によつては痛快な筆法である、將來ばかり考へていぢけてゐる島國人の到底眞似の出來ない藝當である」とした。

 「將來ばかり考へていぢけてゐる」かどうかは異論のあるところだが、いずれにせよ「島國人」からすれば、「計劃は將來を考へないで、唯現代に理想を實現すれば滿足」であるなんぞという彼らの振る舞いは判る訳がない。逆も、また然り。

 紫禁城で宝物参観の機を得る。「陳列範圍が甚だ狭いが澤山古畫が陳列」されていた。「予の鈍眼から見ると雪舟の如く雄渾豪毅な筆なく、又光琳の樣な堅實で構圖の優美な靈筆は無いように思はれた、是等が支那の代表的繪畫とすれば失望せざるを得ない」。

 まあ、「雄渾豪毅な筆」や「堅實で構圖の優美な靈筆」なんぞ求めるだけムリです。《QED》


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