――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘72)「中國共産黨の新理論」(昭和2年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房)

【知道中国 2112回】                       二〇・八・初三

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘72)

「中國共産黨の新理論」(昭和2年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

「共産黨は無産階級及び農民の中に深くその根を下しつゝ、彼らを指導して政治革命から引續き社會革命を完成すると云ふことに、その目標を置く」。もちろん「最終目標は中國赤化の完成、即ち世界的ソヴェート共和國なる大組織の中に中國を溶け込ますことにあるのは今更申すに及ばぬことである」と、橘は共産党の路線を示す。

共産党は「中國人としては、比較的短氣」ではあるが、「目前の中世紀的社會經濟組織を持つ中國民族を引提げて、一足飛にマルクス的極樂淨土に飛び込まうと夢想して」はいないだろうし、「極樂淨土の門を潜る前に、中國民族は嫌でも應でも國民革命及び社會革命と云ふ二つの難關を突破せねばならぬことを能く心得ている」はずだ。だが、「國民革命及び社會革命」を教条的に捉えたままで革命に突き進もうとするならば、「幼稚な失敗に陷り、烈しい手傷を負ふことにもなり易い」――この見立てに従うなら、橘は「目前の中世紀的社會經濟組織」で形作られた中国の社会構造に基づかない共産党の方針では革命は覚束ない。だから共産党の革命方針は間違っていると言いたいのだろう。

「中國には國家はあるが、正しい意味での國民が無い」と考えるから、橘は「目前の中世紀的社會經濟組織を持つ」中国における「国民革命」は「國民」による「革命」ではなく、「國民」になるための「革命」でなければならないと説く。これを第一段階にして、次いで「植民地又は半植民地の被壓迫民族が、帝國主義の覉絆を脱する爲の民族運動」である「民族的政治革革命」の段階に突き進む。最後が社会革命で「一千年の歷史を持つ官僚階級」を起源とする「軍閥や土豪劣紳や貪官汚吏や所謂大資産階級」の支配をひっくり返す。つまり、このように性格の異なる3段階の革命を積み重ねることでしか、「中國赤化の完成」は達成できない。これが橘の主張に違いない。

だが、これまで共産党は「究極の目標を無産革命に置」き、「階級的自覺を有し、階級鬪爭の爲の組織を有する産業勞働者」を革命の中心とし、「無産階級が農民を呼び覺して、これと提携しつゝ」革命を目指してきた。そこで共産党による労働運動に危機感を抱いた上海の資本家たちが蔣介石を支援し、「階級鬪爭の爲の組織を有する産業勞働者」に壊滅的打撃を与えた。1927年4月に蔣介石が起こした所謂「上海クーデター」によって、共産党は「マルクス的極樂淨土」とは真反対の地獄に突き落とされてしまった。

そこで共産党は従来の方針を転換し、1927年の4月末から5月初旬に開催した第5回全国大会で「農民が革命の中心勢力と云ふ高位に据ゑ」た。この動きに対し、「廣く中國共産黨の農民運動に對して新たに決定した態度であると見ることが出來る」と好感を示す。

橘に依れば、第5回全国大会の宣言と決議が示す共産党の方針が従来の大会のそれと大きく異なっている点は、「(一)資産階級との敵對關係の確定、(二)『農民革命』の方式の確定」である。

前者について橘は現在進行形で進んでいた北伐を例に、次のように解説する。

当初、資産階級による反軍閥の運動は反帝国主義の色彩を色濃く帯びていた。だから資産階級と無産階級とは聯合戦線を構成し、農民の力をも糾合して北伐を進めることが出来た。だが北伐が成功裏に進むに従って、資産階級は軍事的勝利の独占を目指すようになった。「單純なる民族主義的見地からは、資産階級と無産階級及び小資産階級的民權派とが聯合戰線を形成し得た」。ここで「共産主義的見解」に立てば、こういった曖昧な形の聯合戦線は認められない。そこで資産階級は「共産主義者に據れば、蔣介石氏の率ゐる右翼國民黨との結合」に転じ、「蔣介石氏は單に資産階級の指導者たるのみならず、同時に封建勢力の味方」になった。以上が「(一)資産階級との敵對關係の確定」に関する橘の見解だ。《QED》


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