――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘65)
「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房)
「亞細亞諸民族の中で世界史上に偉大なる文化的寄與をなしたるものに、中國人の外に印度人及びアラビヤ人がある」が、この3者は「中國の所謂王道思想」では括れないだろう。やはり「大亞細亞主義と云ふ事が理論的及事實的根據を缺」いているばかりか、アジアの諸民族が地理的に近隣関係に在り、加えて被抑圧的立場に置かれたという歴史的条件が似通っていることから「同類意識を根據として薄弱な紐帶を結び得た」としても、だからと言って「中國文化の特色たる所謂王道思想」によってアジアを一体化せよという主張に根拠を与えることはできない。
だから「王道思想なる」「幼稚な發達をしか遂げて居ない此の政治學説を買被つて、孫氏の樣に大袈裟に吹聽することは愼むべきだ」との橘の主張は、蓋し至言というべきだ。
毛沢東や�小平のみならず所謂民主派やら共産党独裁を批判する知識人、さらには共産党政権の経済政策を擁護・称賛する経済学者の類まで、日本人は中国で「幼稚な發達をしか遂げて居ない此の政治學説を買被つて」、「大袈裟に吹聽」してはこなかったか。
たとえば『現代中国事典』(講談社現代新書)である。当時の日本における毛沢東礼賛派の頭目でもあった「アンピコ」こと安藤彦太郎を編集代表に、彼に連なる学者・研究者・ジャーナリストを網羅したかのような執筆陣によって、林彪が失脚し四人組の暴政が猖獗を極めていた文革後半の1973(昭和47)年に出版されている。
アンピコは同書の「はじめに」で、次のように綴っていた。ある時代のブザマ(いや滑稽)な精神の“残骸”として振り返ってみることも必要だろう。
「さいきんの報道が伝えるように、中国の社会主義建設は、文化大革命を経過することによって、ますますその特色を発揮しつつあるようである。生産手段の社会主義的所有制が実現した段階でおこされたこの革命は、政治・経済・文化・芸術その他の諸分野で、社会主義とは何か、という根本的な問いかけをおこない、近代社会がつくりあげた諸価値と対決し、それをのりこえようとする、あたらしい変革への途をきりひらいたといえる。したがって、この革命は、たんに中国独自のものにとどまらず、普遍的な問題を世界にむかって投げかけたのである」。なんとも大仰なもの言いだ。
あれから半世紀近く過ぎた現在、改めて読み返してみて思うことは、アンピコらの試みも、やはり「幼稚な發達をしか遂げて居ない此の政治學説を買被つて」、「大袈裟に吹聽」したことではなかったか。
もう一例として『現代中国事典』より4年早い1969年――毛沢東が文革の大勝利を宣言する一方で、中ソ国境衝突が起こった記念すべき年だ――に大修館書店から出版された全3巻の『講座 現代中国』(『� 現代世界と中国』『� 中国革命』『� 文化大革命』)の「はしがき」に記された「編集趣意書」を示しておきたい。
「中国革命のこれまでの経過とプロレタリア文化大革命は、ひとり中国の社会主義の問題だけではなく、世界史のうえに決定的な重要性をもつものと考えます。そこでは、現代世界に対する絶対的批判があるからです。現代中国は、いまや、現代における“普遍”を争っている、と考えます。/本講座は、中国革命史における主要な問題点と最近の動向としてのプロレタリア文化大革命を通じて中国はいつから、どのようにして、このような課題をになうようになったのか、また中国は現代をどのように批判し、どのような解決の方法を示そうとするのか、そこを明らかにしようとするものです」。これまた大袈裟が過ぎる、
さて文革は「世界史のうえに決定的な重要性をもつもの」だったのか。「現代世界に対する絶対的批判があ」ったのか。「現代における“普遍”を争ってい」たのか。《QED》